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そうか!息子は発達障害だったのか !? 親子の葛藤 と顛末記

発達障害と上手に調和しながら生きていくには?

息子の発達障害について詳しく述べる

 

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こんにちはノンキーです。

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息子の発達障害とはどんな状態のことを言うのでしょうか?

これがある程度明確にならないと家族として対処のしようがありません。

今度の主治医曰く、息子は自閉症スペクトラムと多動性障害を併せ持った発達障害ということなのです。

 自閉症スペクトラムとは

ja.wikipedia.org

  多動性障害とは

ja.wikipedia.org

息子については上記いずれの場合も症状としては軽度と思われ、通常の生活面では健常者との差異は殆ど見受けられません。

しかし、ある特定の課題を与えられた時にそれを解決する能力に問題があるのです。

どういう事かというと、自閉症スペクトラムの面では端的に言うと他人とのコミュニケーションが苦手で意思を伝えることができない、集団の中での活動ができない。また多動性障害の面では、一つの事に集中できずすぐに他の事に興味が移ってしまう。特に仕事などでは1週間も継続することができない。困難な場面に遭遇するとそれを乗り越えることなど到底出来ず、すぐにくじけて諦めてしまうということです。

 このような発達障害がベースにあった息子は子供の頃から生きにくさを感じていただろうと推測できるのです。

自分の苦手な、またできない部分を周りから強制され、それが出来なければ叱咤激励されるという生活を何年も送ることによって、そのプレッシャーに精神は疲れ、気持ちは荒れ果てて来たのだと推測できます。

 

ストレスが積もりに積もって精神を病んでしまった結果、鬱や強迫性障害といった2次的な障害を発症したのではと思うのです。

強迫性障害とは

ja.wikipedia.org

以上のことが判明した上は、息子には2次障害の治療を受けながら、生まれつきの発達障害とうまく付き合っていってくれることを望むのです。

それには何より息子自身がその事を自覚して、主治医のアドバイスを謙虚に受け入れ、行動することが肝要だと思うのです。

そして少しでも社会との接触を経験しながら、他人とのコミュニケーションが図れるように無理なく現在のNPOへの参加をすることではないかと思うのです。

一方家族の対応としては本人のするべき事が明確になった以上は、それが破綻しないよう継続的な環境づくりが必要でしょう。

 

息子が行動するための交通手段について記しておこうと思います。

まず通院は、その心療内科へは車で約20分ほどかかるのですが2、3週間に一度の通院のため我々両親のどちらかが送迎することにしました。そしてNPOの仕事の方は、自転車で15分ほどですので自力で通勤することにしたのです。最初は不慣れのためと月間就労制限があるため毎日の出勤は必要ありません。週に3日の出勤でそれも半日からのスタートです。仕事の内容は施設の清掃が主なもので、これであれば安定的に継続できるのではないでしょうか。

 息子のB型就労支援は、2年間の猶予がありその期間がくれば一般就労に就くかA型就労の雇用契約制のいずれかになるのです。この時点では2年先のことまでは考える余裕はなく、何とかこの生活が定着してくれればという思いだけでした。

 

息子の趣味について書いておきたいと思います。

どうでも良いとお思いでしょうが、これが今後の家族関係のキーになって行くのです。

1つ目は、車の運転です。仕事やプライベートで車が必要になる事は稀だと思いますが、とにかく目的無しに漫然と運転するというのが好きなんです。子供が玩具で遊ぶような感覚でしょうかね。

2つ目は、携帯電話です。とにかくむやみやたらと電話をします。出会い系サイトといったところへもするのです。通話、通信とも今のように定額制が無かった時代ですから当然のごとく高料金になります。

私は日々の料金管理をしながら使い過ぎに注意をしたりしていましたが効き目がありません。本人の特性上自己管理なんてできないのです。

 私はこの2点が息子の人生に於いて大きな障害になった要因の一つではないか、そして心身ともに年の割には未熟な息子に、その事を容認した親の責任は大きかったのではないかと思うのであります。

 

次回からはこの2点のことに端を発した出来事について書いていこうと思います。

 

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

そうか、息子は発達障害だったのか!

発達障害と診断された息子の先行きは

 

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こんにちはノンキーです。

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セカンドオピニオンの結果は?

セカンドオピニオンを受けた息子の診断結果は、発達障害を根底に持った2次障害が原因というものでした。

初めて聞いた発達障害という診断名や2次障害とういう表現に、最初は何のことやら分からず、説明を聞いて “あ、なるほどな!”と、心の中でストンとつかえが取れたような感じがしたものです。

発達障害(はったつしょうがい、英: Developmental disability、DD)は、身体や、学習、言語、行動において一連の症状を持つ状態で、症状は発達中に発見され、通常は生涯にわたって持続する障害の総称である。

生まれつき発達障害を持った子供が、日頃の生活の中で受けるストレスやプレッシャーによって生じる精神的な負担が大きな重圧となって、精神的な病気を発症するというものです。

息子の場合もこれに当たるのではないか、と言うのです。

であれば、先ず2次障害を治療することが先決でそれが寛解していく過程で減薬を試みながら安定を目指すという方向性が見えて来ます。

 

生まれついて発達障害を持っていることが判断できれば、療育という形でそれに沿った育て方をするのが適切で、そうすれば2次障害を発症するケースも防げるということですね。

発達障害を伴った精神的な病気と、そうでない人の精神的な病気ではそれを発症した要因が違うので、自ずと治療も変わってくるということです。であれば発達障害を疑わない表向きの症状で診断すると、息子のような場合には適切な治療ができないということになるわけです。

 早速この心療内科への転院手続きを行いました。その際、確か自立支援医療という制度への申請も手続きして頂きました。こんな制度があるというのを聞いたのは初めてでしたし、治療費負担3割が1割になるということは経済的にも助かります。全てに誠意を感じましたね。

 

親子共々やっと良いお医者さんに出会ったと大喜びです。息子なんかこの先生と2ショット写真を撮って自分の部屋に飾ったりしていました。薬の処方も今までとは違っていて、本人には合っているようでしたね。

私もこの心療内科に通院しながら、具合いが良くなれば仕事を探せば良いという思いでいました。通院の頻度は最初のうちは1週間おきに、暫くして2週間毎になりました。薬の量は最初は多めにして、症状を観ながら段々と減薬して行くという方針です。この方針にも納得性があります。心身ともに安定してくれば仕事に対する意欲も出てくるだろうと期待が持てます。

新たな問題の勃発・就労支援への道

しかしここで新たな疑問が出てきました。息子は発達障害なのです。だとしたら発達障害の人はどんな仕事ができるのでしょう。健常者のような仕事は無理なのではないでしょうか。それをしようとしたところに現在の2次障害を発症した要因があるのです。能力的限界と障害者の特性があるため通常業務はできないという事です。それであれば息子の場合はどんな業種になるのか、またまた壁に突き当たります。

 発達障害も含めた現状の精神治療をすることと並行して、発達障害者として仕事をして行くことになるのです。この時点では障害年金を取得するという発想はありませんでした。

とにかく何らかの仕事に就くというのが目標です。本人も過去の経験から一般の仕事は無理があると分かっているようです。然らばどんな仕事になるのか、今度もインターネットで調べたところNPOが経営?している就労支援という制度があるのですね。そういうところで簡単な仕事から始め、ある期間が来ると次のテップに移るといったシステムの支援制度や、そこで雇用契約を結んで仕事を続けるといった支援制度があり、その人の状況によって携わる内容を決めるようです。

そこであるNPO法人が経営?している『△◯❑』という組織に連絡を取り、息子と現場の下見をさせて頂きました。そこは本人の希望があれば受け入れについては問題ないようでして、いつものパターンですが息子はお世話になることにしたのでした。

息子の場合は、俗にいうB型支援からのスタートでした。

仕事の内容は、民間の施設の清掃や小作業が主な仕事です。給料は最低賃金で計算されますので小遣いくらいにはなるようですが出勤率によって左右されます。まあ一人で生活するにしては不十分な金額です。大事なことは当分の間先の見通しを考えることは保留にして、本人が仕事や他人との関係に慣れることです。 works.litalico.jp

んなこんなで通院するお医者さんや当面の仕事場も決まり、ここから新たな生活のスタートを切ることになったのです。

 この時点で息子は既に24歳頃で私といえば定年前の58歳くらいでしたかね。

さあこれで息子の先行きに何とか目処がついて、それなりに安定した生活が送れるように願いたいものです。

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

人間は反省の結果、改善するとは限らない

 息子の金銭に関する事について

   

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こんにちわノンキーです。

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 金銭問題は、働かない、いや働けない子供を持った親に共通した切実な問題ですね。

今まで述べてきましたように、息子は社会に羽ばたいて出て行くことにつまづいたため定職というものがありません。

精神的な不調を訴えても、仕事をする意欲は見せるのですが一歩が踏み出せません。過去に学校へ行けなかった時と同じです。

 

高卒資格があると言っても世間でいう普通の手順を踏んだ就職活動はありません。コンビニ等に置いてあるような求人情報誌であるとか、ハローワークへ行っての斡旋になるのです。

それなりにアポを取って面接には行くのですが、他に応募者がいる場合は中々採用には至らないのです。面接に行った日は帰ってからその様子を話してくれるのですが、面接官への悪口が多いですね。何というか自分でもうまくいかなかったという自覚症状があるのでしょう。

こんなことでは採用されるのは難しいですね。

 

仕事の件でこんな事がありました。

子供さん相手のテーマパークに応募したところ、運良く採用をしてくれました。本人はとても喜んで張り切って行きましたが2日で終了です。何もクビになったのでなく自ら行かなくなりました。勤め先からは再三電話があったそうですが出ません。子供の頃から都合の悪いことからは逃げる習慣がついているのです。結局先方と話すことなく、2日分の給料を払うから来てくれと家の方に連絡がありそれで終了しました。

 

理由は、“とにかく遊具の準備が忙しくて体力的にキツい。それに子供さんを相手にすることで気が抜けず、危険なことが起こると対処できるか心配だ、2日間行ったが継続できる自信が無い”というような事です。

聞いてみると誰でも最初は感じるような事です。特に際立った理由ではありませんし、仕事の内容にしてもごく普通ですが、本人にとっては未知の世界に入ったかの如く大変に感じたのでしょう。頑張って慣れて定着するか、それとも挫折して辞めるかは本人次第ですが、結果は前述のように辞めたのです。

親としてはもう少し慣れるまで頑張って欲しい気持ちはあったのですが、子供さん相手に何か事故でもあった日には取り返しのつかない事になるため強くは押すことはできません。あくまで本人次第ということですね。

そういうことで、全く何もしなかったという訳でなく本人としても仕事に対する意欲はあったのです。

 

またまた起こった女性とのトラブル 

そうこうしているうちに、ある日街で知り合ったという女の子を家に連れて来たのです。例の車問題のあった時以来の女性との関わりです。

私達親には会わせないようにこっそりと自分の部屋に入るのですが、2階ですからすぐ分かります。

息子は社会性が乏しい上、誰とも話すことが苦手と思っていましたが、意外にも女性に対しては割とスラスラとおしゃべりができるようです。分かりやすく言うと“ナンパ”ですね。本人もそう言ってました。親でも想像し難い意外な一面を持っていたのです。仕事を探すことよりもそちらの方に力が入っていったのです。女性と付き合うのは悪いことではありませんし否定はしませんが、そのためには優先することがあるだろうということです。

しかし息子はその事は分かっていても行動が伴いません。女の子と付き合うのはお金が必要になりますね。働いていないとはいえ就職するまでのつなぎとして小遣いを渡していますがそれでは不足だというのです。

当然小遣い以上のものを親に要求してきます。成人男性ならば働いて稼いでお金を得ようとするでしょう、それが普通ですよね。できなければ我慢するしかないです。ところが息子はその理屈は分かっていても強引に親に要求してきたのです。当然のごとく親子間のトラブルになります。相手の女性も息子に収入が無いことは分かっているとは思うのですが、悪びれた様子はありません。その女性の質にもよるんでしょうがね。

息子に接近してくるのは男女問わずそんな者たちです。そういう息子もその類です。ここに至ってまだそんな付き合いに精力を使っているようでは情けない限りです。

我々両親の息子に対する態度が硬化して、厳しくなったのは言うまでもありません。親子のいさかいはどんどん激しくなっていったのです。

精神状態に不具合のある人は、静かで落ち着いた環境で過ごすことが望ましいのですが、息子のように親子関係が悪く、また女の子と一人前に付き合いたいと背伸びしているような生活が、心身ともに良い訳がありません。

仕事探しはそっちのけに女の子と遊ぶための金銭を親に要求して、その果てが親子喧嘩とあっては精神は荒れるばかりです。

いくら言い聞かせて分かったと言ってもお金を貰うがための詭弁に過ぎません。この傾向は日を追うに連れてひどくなっていったのです。どこでどう間違ったのか、少しずつ財布の紐を緩めたのがいけなかったのかも知れません。

 

この女性との付き合いについてですが、いつの頃からか他県に引っ越しをしていて車でわざわざ何時間もかけ、またそれなりの費用を費やして息子の所へ遊びに来ていたのです。そうなると迎える息子もお金が必要になりますわね。結果前述の通りです。

ある日、この女の子との終焉は意外にあっさりと来ました。何がきっかけなのか喧嘩をした際、息子がその子の肩を殴ったといって赤く腫れていました。その子は帰宅後家族に話し、息子との付き合いに目が覚めたのでしょうそれ以来来なくなりました、それで終わりです。

私はホッとした上、息子にも良い勉強になっただろうという気持ちでした。これを機会に就職活動に力を入れて欲しいと願い、そして本人にも諭したのでした。

しかし、人間というものは反省はするが良いことよりも、悪いことの方が身につくのでしょうか。それともその人間の本質が悪いのでしょうか、息子を見ているとそんな事を考えてしまいます。

この出来事にも疲れました。

 

今回はこれで終わりたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

いよいよドクターショッピングは終わりを迎えるのか?

初めて聞いたセカンドオピニオンとは

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こんにちわノンキーです。

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前回に続き、更なるドクターショッピングについての続編です。

さて社会へ出て行くための助走期間が不調に終わり、上手く離陸ができなかった息子は、なんとかしてこの心身の不具合から脱して社会へ出て行きたいという意欲はあったのだと思います。また反面仕事をやり続けた経験に乏しいため、世の中に出て行く不安が大きく臆病になっていたのも事実でしょう。

 

そうそうこんなこともありましたよ。

どこでどう思ったのか、息子がある日こう言うのです。

“お祓いをして欲しい”と、とにかく何にでも頼ってみたい気持ちがあるのでしょうか、まるで漫画みたいなことを思いつくものです。

私も無碍に否定するようなことはしませんが、一度そんなことでも経験するのはいいかも知れないと安易な気持ちでそういった場所を探してみました。

流石?に地方の中核都市です、それらしきところがありましたよ。それもかなり怪しい雰囲気の所です。

そこは●●といった組織で、心身に障害のある人たちを集めてまじないめいたことを行い、その人達からお金を徴収しているのです。弱者の足元を見てお金にしているような団体です。

我々が行った時、その人達、数人ですが内心“しめた、鴨が来た”と思ったことでしょう。息子の情報をダシに色んな角度からお金が発生するように仕掛けてきます。

 

この頃の息子は、親からのプレッシャーや自分の不甲斐なさ、心身の不調のストレスから、かなりの情緒不安定な状態でした。口を開けば親子喧嘩です。時には物に当たり破壊行為が出ます。先にも述べましたが、この頃は私の仕事の関係上借家住まいですので、破壊には神経を使います。きつくたしなめますがそれが元でまた物に当たるのです。

そういった状態でしたから、その団体の言う仕掛けに乗ってみてもいいかと、親子共々しばらく付き合ってみましたがお金のいることばかりです。

普通でない雰囲気を感じたのか、息子の方からいつの間にか止めてしまいました。

冷静になってみると、こんな奇妙な団体にすがりたいと思うほど我々親子は窮していたのです。こんな回り道もあったという余談でした。

 

さて話は元に戻って、次なるお医者さんはどんな所でしょうか。

ホームページで調べても、どこも同じような事を記載していてコレといってピンとくるお医者さんはありません、皆さん集客に必死ですね。今までの経験からいって書いている事を鵜呑みにはできません。とはいってもどこか適切な治療をしてくれるお医者さんはいないのだろうかと探します。そして、とりあえずあたってみるかということになるんですね。

心療内科の世界は、患者自身に合ったお医者さんを探し当てるのは非常に困難だと思いますね。世間的な評判はあまり聞こえてきませんから。言い方は悪いですが、当たり外れの外れの方が多いと思います。患者さんの症状はそれぞれですから、個別にきめ細かく対応してほしいものです。医師の本当の実力が問われるところでしょう。

 

次のお医者さんはどんなでしょう。ここも長続きはしませんでしたがそれでも数カ月は通院したと思います。

この医師はパソコンばかり見てあまり患者さんを観察しないのです。患者さんを良く見ないで適切な治療ができるものです。適切でなく適当なのでしょう。

案の定息子の診断結果は“統合失調症”と出ました。ここに至っては驚きはありません、むしろここまで同じ病名が出るものだと驚嘆します。本当に統合失調症なのかと思ってしまいます。

息子の症状とは似ても似つきません。

統合失調症とは↓↓


ja.wikipedia.org

しばらく通院しましたが、ここも早々に見切りを付け次のお医者さん探しです。

 

セカンドオピニオン

ある日、ホームページを見ていると“セカンドオピニオン”という文字が目に入って来ました。この地域で心療内科を開いている医師がメールで相談にやってくる患者さんやそのご家族のセカンドオピニオンを実施しているのです。

セカンドオピニオンとは↓↓

セカンドオピニオンとは、患者さんが納得のいく治療法を選択することができるように、治療の進行状況、次の段階の治療選択などについて、現在診療を受けている担当医とは別に、違う医療機関の医師に「第2の意見」を求めることです。

私もセカンドオピニオンという言葉は聞いたことがなく、その意味も分かりませんでした。でもなんとなく頼りになりそうな雰囲気でした。“藁をも掴む気持ち”とはこういったことなのでしょう。右往左往する息子を傍目に、私は予約の電話を入れたのでした。

電話の向こうに優しい受付の女性の声が聞こえてきました。何となく“お、いいぞ”と心の中で叫んでいました。最初から数えて丁度10件目のお医者様です。

このお医者さんには大いに息子共々助けられました。この頃からですね、巷で発達障害という言葉が聞かれ始めたのは。

そしてこの医師は、息子に初めて発達障害の疑いを持ちその診断の結果、現在の症状は発達障害が原点にある二次障害ですという診断を下したのです。

その時私は、新しい境地を見た気がしました。そして悩み続けた親子の葛藤の先に、ほのかな明かりが見えた気がしました。

しかし人生というものは奥の深いものですね。物事の解決はそう期待通りにはいかなかったのです。

 

今回はこれまでです。最後まで読んでいただきありがとうございました。

定着したドクターショッピング

当時の心療内科とはこんなものです

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こんにちはノンキーです。

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今回は息子のドクターショッピングについてです。

前住まいの時から数えると、通院したお医者さんの数は両手では足らないくらいでしょう。
 
新しい地域で最初に行ったお医者さんは、まあ心療内科としてはどこにでもある平均的なものでしょう。医師一人と受付け、看護師で2名、合計3名体制ですね。
私もいくつか息子に同行して行きましたが、大体がこういったお医者さんが多いですね。
 
お医者さんを探す時はインターネットで検索し、ホームページの自己PRを見ながら研究するわけですが、実際に医師と会ってみないとその人となりは分かりません。経験からいって宣伝負けしている場合の方がほとんどでしょう。
 
なんででしょうね、自ら“こころの病気” と謳ってホームページでPRしているのに、いざ患者さんに対しては気持のこもっていない、事務的対応が多い感じがしますね、私の主観ですが。
同行者が質問したりすると、ろくに話を聞きもせず結論(病名)を出してしまい、それに該当する投薬を処方するんですね。
 
こんな事がありましたよ、息子と一緒に診察室へ入った時の事でした。
初診の時です。当時のことですので今から14,5年前のころです。
先ず医師から私なのか息子に対してなのか、おもむろに問診が始まります。それも患者(息子)の顔、表情を見るでも無く質問をするんですね。
手元を見ると何やら質問の回答を用紙に書いているのです。要は問診の結果をマトリックス式の用紙にチェックしているわけですね。想像するにチェックした最後には病名を記した回答が書いてあるのでしょう。なにかパズルのようですね。
 

下った診断名は“統合失調症”でした。

過去に統合失調症と診断されたお医者さんは2,3ではなかったと思います。当時は、統合失調症という病名を付けるのが流行っていたというか、何かというと統合失調症ですよ。

先程のお医者さんでも、息子が注射のため席を外している時を見計らって、私の方から“以前通院していたお医者さんから、統合失調症と診断されていたのですが?”と問いかけると、すかさずそのお医者さんは“そうです、統合失調症です”と答えたのでした。
 
これには流石に驚きましたね。何を根拠にと言いたいところですが、マトリックスがそう診断しているのでしょう。
結果、息子のお薬は統合失調症の治療薬となったのです。
いやいやこれには参りましたよ。息子の症状は良くなるどころか、ますます気性荒く家庭での生活が不安定になってきました。これ誤診による間違った治療です。統合失調症であるはずがありません。
 
このようなお医者さんは誤診をした挙げ句、一向に改善されない、もしくは悪くなった症状をみて病気が進行しているという見解を示すのです。
そして益々誤診の治療薬を増量し、症状の悪化を招くのです。
 
せっかくホームページを見て、このお医者さんだったら適切な治療をしてくれるに違いないと期待して行ったのにもかかわらずこの結果です。
聞いてみると、統合失調症は100人に一人はいる病気ですと平然と言ってのけます。
 
これでは埒があきません。2,3度通院して止めました。振り出しに戻ったわけです。
こんな状態ですから、息子の労働意欲はあるのですが気分的に前に出ていけません。
この頃よく言ってました。“頭が回らない”と。分かるような気がします。
何も怠けるとか働きたくないということではないのです。
これまでの医者遍歴による、多種多様の投薬で息子の症状は余計に悪化したのではないかと思うのです。
 
当時の心療内科の実態はどこも同じようなものです。
患者は自分に合った医師を求めてドクターショッピングを重ねて行くのです。
 
次回は更に適切な治療を求めてドクターショッピングををして行く親子の様子を書いて行こうと思います。
 
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
 

やっとの思いで高卒の資格が取れました

 紆余曲折しながらの高校行脚

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こんにちはノンキーです。

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さて息子の通信制への通学はその後どうなっているのでしょう。

 公立の通信制の授業は2週間毎に送られてくるレポートの提出がメインになります。
そしてこれが中々に難しいのです。とてもじゃありませんが息子の手に負えるレベルではありません。相当真剣に取り組まないと問題に回答することができません。当たり前ですけどね。
 
休みの日などは私も一緒に手伝う気持でいましたが頭が痛くなります。
通信制とは言え、地域ではトップクラスの進学校ですからその卒業生にはそれなりのレベルを求めるのだと思います。
息子は最初のうちは図書館に行ったり、私に教えを請うたりしていましたが進むに連れて難しくなるレポートについて行けなくなり、段々と提出しなくなったのです。
 
そして週末の登校も行かなくなって来たのです。通信制は自主性に任せて勉強するところなのでしょう、先生方のフォローは有りません。私も以前のようには学校とのコミュニケーションを取ることは有りません。
息子も大人ですから自分の事はある程度自分で決めて行動するべきです。
基本はここにあるのです。しかし息子はそのような当たり前の、普通の一般的なことが全くできないのです。
 
今回も親たちがアドバイスしないと、次に自分がどうすれば良いのかを考えることも決めることもできません。
ただ流れに任せているというか、ほったらかしのようです。せっかく通信制という、高卒の資格を得るチャンスに恵まれたのにそれを活かせないとは情けない限りです。古い言い方ですが根性が全くありません。
知らず知らずのうちに全く行かなくなり、レポート提出も滞ったままになってしまいました。これでは卒業できる目途は立ちません。どうしたものか? またまた親の出番が来ましたね。ほんとにお人好しの大甘親です。
 

そして次の一手を模索するのです。

ほんとに疲れますわ。

このブログを読まれている方いかがでしょう、どのように感じられますか?お人好しもいい加減にしたら! とお思いでしょうね。
 
この時点で息子は21歳過ぎです。 自分の将来をきちんと見据えて仕事をすることを真剣に考えないといけませんね。
 
基礎学力の無い息子には公立の通信制能力的に無理があったのです。頑張ってこれを克服するという根性も力も備わっていませんので当然といえば当然の結果です。親子共々甘かったのですね。
 
そして遂にこの通信制高校から、私立高校が経営する通信制高校へ転校することになりました。いわゆるサポート校というものです。
この学校のシステムは、レポートといったものはなく、単位取得のための通学や野外活動への参加をこなしながら単位を稼いで行くというものです。いくら息子が能力が無くても、これだったらできるでしょう。
 
単位の引き継ぎ結果、息子の場合は残り約1年未満で卒業可能となった訳ですが、高校の性格上かなりの金額がかかるのです。とにかくこういった子供にはお金がかかるのです。この頃私は現役で働いていましたから何とか捻出することができましたが、当の本人は全く無頓着で意に介しません。親に対する感謝とか、そんな感情をまるで持ち合わせていないかのようです。
そんなことですから、今後もあらゆる場面で親を困らす出来事が頻発するのです。
 
さて今度の高校ですが、息子にとって卒業するための最低限の授業や野外活動の参加日数を事前に把握することによって、計画的に通学することが出来るのです。後で知ったのですが息子はこれを計算して通学し、ギリギリ最低線の単位取得で何とか卒業して証書を貰うことが出来ました。
曲がりなりにも、一応高卒の資格を持って世間に出ることができるのです。
 
この時息子は既に22歳になっていました。とにもかくにも実に7年もの長い時間を要したのです。
 
本人にとってはドクターショッピングをしながらの通学ですから、かなりきつい時期であったのも事実です、見方を変えればそれなりに頑張ったとも言えますね。
 
さてと親としてはやっとの思いで息子を高卒まで持っていくことが出来たのですから、これからは息子自身の行動で仕事を見つけ社会へ羽ばたいて欲しいと願うのでした。
 
しかしこの息子SRに関してはその願いも虚しく空回りに終わるのでした。
 
次回、また心療内科に関して息子のドクターショッピングについて書いていこうと思います。
 
最後までお読み頂きありがとうございました。
 

身の丈に合わないことをするとこうなると言う事例

 今度は女友達と車に関するトラブルです

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こんにちはノンキーです。

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今回は女友達との出来事です。

前にも書きましたが、友達関係でもトラブルがとにかく多かった気がします。
それも殆んどの人は質的に良くありません。『類は友を呼ぶ』かの如く息子にはそういった人達が寄って来るのです。仕方のないことです。
 
そうそう書き忘れていましたが、息子はその当時自分の車を持っていたのです。
通信制の学校へ行きながら、何かアルバイトでもして車代を払うという約束で車を買い与えていたのです。実に大甘のバカ親です。
この事が先々の色んなトラブルの引き金になって行くのですが、この時は微塵にも思いませんでした。もっと息子に対する態度を毅然として、慎重に考えるべきでしたね。
最初のうちは、本人もその気になって取り組んだため、それなりに採用されて2、3箇所働きに行ったものでしたが、よく持って1週間です。
特に働きぶりに問題が有ったわけではなく、仕事に慣れるまで続かないのです。本人の取り組み姿勢の問題ですね。
 

さて問題の女友達についての出来事ですがこんな事があったのです。

ある日息子SRが自分の車とは違う、グレードの高いそして今にも地面につきそうな車高の低い車に乗って帰って来たのです。(地面との距離が15cm以上であれば法律的にはOKのようです)
 
また何があったのか?と心配です。
本人に問いただすと、女友達に買って貰ったと言うのです。
これはエラいことになったな、また何をしでかしたのか?不安がよぎります。
そしてその不安が的中するのです。
 
その女性は観光地のあるお店に勤務していて、父親は近くの他店で働いているということなのです。息子の言うことですから信憑性がなく良く理解できません。
 どうやらその娘の住まいの近所にあるコンビニで知り合ったというのです。そしてまたまた質の悪い?男性の存在が見え隠れするのです。(その頃息子SRも傍目には決して質の良い人間には見えません→茶髪にピアスで本人は最高と思っているらしいが)
 
件の車はその男性から譲り受けたと言うのです。費用はその娘が払ったと! いわゆる買って貰ったと言うのです。
自分の車はどうなったのかというと、親にも言わず、ローンも残っているというのに、その男の車と交換したと。そして不足の金を娘が払ったと言うのです。
 この話を聞いた時、私達夫婦は呆れたという生易しいものではなく、一瞬めまいがしましたよ。
 
さらに追い打ちをかけるように、車の車検や保険について今後10年はこの娘が面倒を見てくれると平然と言うのです。
私達は呆然として立ちすくむのみです。この背景にはとんでもないことが潜んではいないかと。
 
更にこの時をきっかけに、息子は出かけては家に帰らない日が時々発生してくるのです。
いくら言い聞かせても、厳しく注意しても耳を貸しません。車を買ってくれるとかそんな虫のいい話があるわけは有りません。
その娘が勤めている店というのが尋常ではなく、また親の仕事も同じくです。何かひどいことが待ち受けている気がします。
 
そんなある日その娘のことが新聞記事に掲載されたのです。内容は推して知るべしです。それを知った息子SRは無謀かつ非常識にも面会に行くんですね。それも数度。常識では測れない行為です。
 
そして遂に親をも巻き込む重大な出来事が起こったのです。
かいつまんで言うと、その娘の両親が家にやって来て、娘が妊娠している、息子が相手かと確認に来たのです。私は不在でしたが、この時息子はきっぱりと否定をしたとか。
その時は娘の親は帰って行ったのですが、後日息子に電話がかかってきて、“車の件で話がある、娘が負担した金を返してくれ”という内容です。
息子が働いてないので払えないと言うと、親に代われと言ったのです。
 
要領を得ない息子が、電話を代わってといきなり携帯を持ってきたので、出てみるとそんな話でした。
 
社会性が身に付いていない未熟な人間がいっぱしの行動をしようとすると、本来居るべき世界とは異なった異次元の世界に、周囲を巻き込んでしまうものなんですね。
 
娘の親曰く、車にかかった費用を〇〇万円を返して欲しい、そして娘は△△を出て来てから親戚の家に預けている、電話があっても今後は出ないで欲しい。というものでした。
我々にしてみれば、元々息子が乗っていた車の所在は不明ですし、車代残金もあります。そもそも息子がその車代を払う義務があるのかどうかも分かりません。
まあ一般常識的に考えると他人から車を買って貰うなんでありえませんし、その娘の親が言うことにも一理あります。私としては両者の言い分を聞いた上で結論を出したかったのですが、何故か息子と娘を会わせることを拒否しています。また根底にどんな考えがあるのか想像もつきません。
いつものことで息子に詳しい話を聞こうとしても一向に要を得ません。
 
家に乗り込んできた相手の親はどう良く見ても、まともに話せる人には見えません。仕方なく私は、相手の言う要求を飲むことにして、後々問題が再燃しないように一筆書いて貰うことにしました。
 
これで一件落着ですが、これ以降もこの件にまつわることで、他方面から余波が出てきたりしましたが、大きなトラブルにはならなかったので取り上げることはしません。
とにかく息子に関わっているとこんな事が多く疲れるのです。
普通に生活していれば関わることの無い世界なのです。
 
これでその車は息子の物になったのですが、収入の無い息子にとって身の程に合わず、お守りをすることができません。燃料代、オイル代、必要の無い装備費用と経費がかかり過ぎるのです。
 
困ったことに今回の件で懲りたと思ったのは親だけで、本人は相変わらずケロッとしているのです。
こんなことですから、飽きもせず今後も色んな問題が起こってくるのです。
 
いかがでしたでしょうか?
次回は、通信制高校のその後の経過について書いていこうと思います。
 
最後までお読み頂きありがとうございました。
  

新天地での友達関係は波乱の幕開け

最初に知り合った友達?から利用されそうになったこと

こんにちはノンキーです。

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友達関係でこんな事がありました。
新生活が始まっていくらか落ち着いてきた頃でした。
通信制高校には何とか自転車、バスで通学しながら週数度行くようになり、レポートも本人にとってはかなり難しい内容でしたが、私も手伝いながら何とかこなしていました。
 
しかし息子SRはここでも学校での友人関係は築けなかったようです。
通学やレポートといったことは昼間にすることになりましたが、夜間の出歩きが増えてきました。何というか行動に一貫性が無いのです。
 

最初の出来事、こんな事があったのです。

ある日夜間に街で知り合った男二人、女一人を連れて自宅へ来たのです。
パッと見た感じ男性は息子より2,3歳上、女性は少し下のようです。
我々にも挨拶せず、直接息子の部屋(2階)へ入っていきました。

男二人は数時間後に帰りましが、女性の方は夜中までいましたが息子が気がついた時には帰っていなかったようです。(このあたりの行動が何か不自然なのですが?)
そして翌日だったと思いますが、仕事中に息子から携帯に慌てた様子で電話がかかってきました。
 
それは “家に来たその女性がある事件に巻き込まれ拉致された、開放するのにお金がいる。貸して欲しい” というのです。
仕事中ですから、詳しいことは聞けませんが、またいつものようにバカバカしい、くだらない出来事?だろうと思いましたが、いたって本人は真面目に言っています。このあたりが年令比、幼稚で少し変ですよね。
 
帰宅後詳しく聞くと言って電話を切らせましたが、相当本人は慌てているのです。一度思い込むと居ても立ってもいられないという現象ですね。
 
さて、帰宅後の話ですが、その女性が夜中に部屋を出て行って帰ろうとした時、数人の男が現れ連れて行かれたと言うのです。そして今日電話があり、“彼女を拉致した、お金を出せば開放する”と言うことのようでした。ご丁寧にその女性がが乗って来ただろうバイクは家の前に止めたままになっています。
 
電話の主は聞き覚えのない男からで、拉致開放の額は10万円と言っていると。払えないのであれば、2、3万円でも良いと息子は言うのです。
そして拉致された女性を助けなければと言い張るのです。
必死で頼み込んでくるのですが、話の内容が怪しさ満載です。
事実であれば警察に届けて調査してもらえば即解決するのでしょうが、この内容ではそういう訳にもいきません。
完全にからかわれているか、その女性達の狂言に引っかかっているとしか思えません。息子は他人から見ればその程度の騙しやすい人間なんです。年相応に成長していないのです。
 
私は息子に電話があっても、かかわらずに放っておくように言いましたし、加えて親に電話を代わるとも言うようにと指示しておいたところ、その内電話は掛かってこなくなったようです。この拉致狂言は、以前家に来た3人組であることは明白なのですが、息子SRはそうじゃないと信じ切っているのです。
 
そうして数日後、その中の男から拉致されたとする女性のバイクを持ってきて欲しいと連絡受け、指定の場所へ自ら乗って返しに行ったのでした。まるで漫画ですよね。他人の出来事ならまだしも自分の息子の事ですので笑うに笑えません。
 
そして行った先には、その被害者女性と男性3人がいて、内男一人が怪我をしていて布団にくるまっているのです。お金が用意できなかったため、拉致した男達に暴力を振るわれたと。ここまでくると完全にバカにされています。息子もいい加減に気が付かないといけませんね。
 
私は心配でもあったので、息子に連絡をとって迎えに行きました。
そしてこの連中と手を切るように言い聞かせ、私は警察に相談した上で、そのグループの一人に電話して今後息子と一切関わらないように約束させました。もちろん警察に相談したことも伝えましたよ。
それ以来そのグループとは会うことも、連絡取ることも一切無くなりましたね。携帯の電話番号もお互い抹消です。
1件落着です。
 
しかし、こういった友達というか人間関係の問題は、今後も多く発生してくるのです。
息子SRは年の割には幼くて無知なところが有り、自分が友達と思っても、そう思った人から利用されることが多いのです。その友達というのも質的には良くありません。
そしてその事に気が付かず、単純に信じ込んで出来ない相談を親に持ちかけ、トラブル、揉め事が発生して親子関係が悪化する原因となるのです。
 
いかがでしたでしょうか?
息子SRの人間関係の一例をご紹介しましたが、実際はこんなものでは済まなかったのです。
次回以降、特筆すべき内容について書いていこうと思います。
 
最後までお読み頂きありがとうございました。
 

新生活が始まったものの新たな課題が!

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こんにちはノンキーです。

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引越し先での住居は会社借り上げの借家、そこでの新生活スタート

 今回は、息子SRの心療内科の変遷について書いていこうと思います。
 
地元の心療内科への通院は、行ったり行かなかったりと定着しませんでした。
そのため、紹介状などは取得しないまま新しくお医者さんを探すことになり、診断もあらためてして頂く事になります。
 
数ある中から息子SRに適していると思われるお医者さんを、電話帳やインターネットで探すことにしました。何とまあたくさんの心療内科が存在するものです。
 
比較的住まいの近くで、それなりに評判の良い所をホームページや評価などを参考にしながらとりあえず決めることにしました。
 
私としては、前医者の処方が息子SRの症状改善に合致していなかったのでは?という疑問があったため、新規の診断によって改善して欲しいという気持でした。
息子と一緒に診察室へ入り、初対面で面談したお医者さんは、40代でパソコンを前に置き、中々紳士的な感じの良い方でした。
事前に書いた問診票を見ながら質問してきますが、息子は相変わらず喋りません。
 
ところでこの頃の心療内科のお医者さんは、患者の外見症状を診て診断をし、その結果で病名を付けてそれに該当する薬を処方します。
所謂対症療法のため、その症状の根底にある病気を治療することに結びつかないのです。
息子SRの場合もいつもそうなんですね。あまり喋りませんから診断のしようがないのです。だから結果的に診断名はうつ病になるのです。
 
当然のことでしょうが、症状から診断するのではなく、その症状を作っている根本原因が何であるのかを探ることが大事なのでは無いかと思うのです。
これ以降数箇所の心療内科ドクターショッピングすることになるわけですが、どこも同じような診察方法でしたね。
 

ドクターショッピングとは?

ドクターショッピング(英語: Doctor shopping) とは、精神的・身体的な問題に対して、医療機関を次々と、あるいは同時に受診すること。 別名「青い鳥症候群」とも。
 
今回の場合も、最後には前医者の処方を聞いてきましたので薬剤名を言いました。
するとどうでしょう、処方された薬は前回と同じ抗うつ薬になるのです。
そのお医者さん自身のオリジナルな処方は無いのでしょうか ?
 
抗うつ剤はどんな作用があるのでしょう? またどのような症状に効くのでしょうか?
 
息子SRの場合は、元気が出てきたのは事実ですが、テンションが高くなり言葉遣いも荒くなりました。また一番困った現象として出てきたのは、欲しいものがあれば買いたいという衝動を抑えきれずに、親にお金の要求をしてくるのです。これを拒むと揉めた挙げ句物に当たったりして壊すのです。そこまでしないと諦めないのです。
 
このことに関連して、必要以上に元気が出ると外出の頻度が増えて来ます。
またお金が必要になって来て、そして揉めて物を破壊します。たまったものじゃ有りません。
 
年齢も20歳を過ぎると年頃になり女性の友達が欲しくなる時期です。
今度住んでいる土地は地方の大きな町で人口も多く若い男女がたくさんいます。
街へ出ると男女問わずどちらからともなく声を掛け知り合いになります。
 
この男女の付き合いが息子SRの将来に大きな影響を与えることになるのです。
今思うに、息子SRが気持も新たに新生活を始めた地域は、新たな刺激と相応しくない環境を与えてしまったのです。
 
今後、このブログを書いていく切り口として次の3つのことが課題となるのです。
 
①お医者さんのドクターショッピング
②男女の友達関係
③金銭にまつわる問題
 
 
この事について、記憶を辿りながら差し支えない範囲で書いていこうと思います。
 
今回も最後までお読み頂きありがとうございました。
 

息子にとって非常に高い高卒の壁

事件の顛末と新天地での生活の始まり

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こんにちはノンキーです。

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さて思いもよらぬ事件が勃発してからのその後です。

その事件が起きたのは息子SRが20歳になる2ヶ月前でした。
あまり詳しく書くことは出来ないのですが、おおよその内容が推測で出来ることぐらいは書いてみようと思います。
 
ある友達関係とのトラブルですね、それも金銭に関することです。
本人が全く悪いわけでは無く、その付き合っていた友人というより単なる知り合い程度の相手に利用されたということでしょうか。
この事は後日判明したことですので、当初は息子SRが全面的に悪者になっていました。
そしてK察に勾留されて調べられた挙げ句、しばらくは帰って来れませんでした。
息子SRにも全く責任が無いわけではなかったため、それなりの処分が下ったわけですが、それまでの間、関係機関による調査なり、本人の観察なりが行われましたが、息子SRに関しては病的とか障がいといった見解は一切ありませんでした。
 
我々両親は、この出来事の後仕舞いに東奔西走したものでした。
当然仕事を抱えていますから、その合間を縫っての対応でしたので毎日が辛く、苦労の連続でしたね。
 
一方息子SRは、約1ヶ月の時間をそれなりの所?で過ごした訳ですが、帰って来てからもやはりこういった事件は、学校としても問題視しているわけです。
 
学校や先生方に多大なご迷惑をお掛けした訳ですから通常通りお世話になる訳にもいきません。
ましてやそれまでに真面目に通学しているでも無く、担任の先生には非常な負担をお掛けして来たことですし、親としてはこの際、退学届を出すことにしたのです。
学校側は特に引き止めることもせず、こちらの希望した通り受理しました。
当然のことですよね。
 
息子SRは既に20歳になっています。世間的には親の保護もこれまでです。自立の道を歩まねばなりません。
その為にはやはり当初の目標である高卒の資格は是非とも欲しいものです。
しかしそれも今となっては、叶わぬ夢と言うしかありません。
この時点で学校関係者とのつながりは全て失ってしまったのです。
 
さてこれからどうしたものか、息子SRの将来はどうなるのだろうか。
心配は募る一方です。
私は親として、この事をきっかけに息子SRの生活が変わってくれる事を望みました。
 
 
ところで、私自身のことになりますが、この当時私は社命で転勤しており単身赴任中でした。
この一連の出来事はその時に起こった事件なのです。
幸いにも時間的にはそんなに遠くでは無いため、行ったり来たりしながら対応することができましたが、内心は相当なストレスを抱えて日々過ごしたものです。
 
ある日、会社での健康診断の検査で“潜血有り”で引っかかり、精密検査を言い渡されました。
結果は大腸ポリープができており早速除去しましたが、原因はストレスと食生活が原因?と推測できました。
 
この事がきっかけで、妻と息子SR共に私の勤務先で一緒に生活しようということになりました。妻は私の健康管理が目的ですね。
 

再三再四の高校挑戦と新天地での生活

息子に対しては再度高卒資格取得に挑戦するか否かですが、相変わらず自分自身の考えが定まらないのか、流れ任せでそれを目指すという事になりました。
 
またまた段取りと手続きをしなければなりません。これが予想以上に大変なのです。
先ず学校の選定です。
本人の適性からいって、通信制高校に決めました。
たまたま現地には公立の通信制があり、単位制のため毎日通学の必要はありませんが送付されてくるレポートの提出があります。そして週に2,3日の通学が必要です。転入という形で割とスムーズに入ることができました。
 
次に元の高校からの引き継ぎを行うため、取得単位を記載した引き継ぎ書類を作って貰わねばなりません。これ気分的にちょっと嫌ですよね。
そして、保証人も必要ですので親戚にお願いしました。
 
そんなこんなで何とか期日に間に合い、息子SRは高卒資格取得のため、再々出発をすることになったのです。
 
そうそう言い忘れるところでしたが、引越し先でも息子SRは引き続き心療内科へ通院して、投薬を継続することになるのです。
この時息子SRは20歳代、私は現役のサラリーマンです。
心機一転、親子3人新天地での生活が始まります。
 
そして今度こそは目標達成のため真面目にやってくれるだろうという強い親の願いもあります。
 
しかし事はそううまくは運ばなかったのです。
なんででしょうね?
事の責任や原因はやはり息子SRにあるんでしょうかね。
 
次回からは、引越し先での生活について書いていこうと思います。
最後までお読み頂きありがとうございました。