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そうか!息子は発達障害だったのか !? 親子の葛藤 と顛末記

3ヶ月半に亘る入院生活の成果はあったのか?

こんにちはノンキーです。

暫く記事更新から離れていましたが、また書いていこうと思います。

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息子の入院生活が始まりました

当初は主治医が会わないとか、食事がどうのとか色々不満を言っていましたがその内慣れてきたようです。

一番困ったのが、入院した翌日からほぼ毎日電話が掛かってきたことです。

携帯で電話することは禁じられていたため、公衆電話でかけてくるのですがコインを入れながらですので金額が張ります。ですのであまり長時間はかけることができません。内容はいつも同じで“早く退院したい”の一点張りですね。

結果的には息子の入院日数は約3ヶ月半でしたが、入院中には精神的に問題のある症状を確認できなかったというのが理由でした。

 

入院の患者さんの病名・症状は多様で、特にうつ病の方が多かったようです。

そんな中で息子は数人の人と知り合いになり、一般社会から隔絶された環境ですがそれなりに過ごせたようです。

知能テストとその結論は

ある日、主治医から暫く入院して経過を見た後、精密検査をしたいという知らせがありました。息子の正確な症状を把握して病名を探り、それに沿った治療をするという主旨です。これこそ私どもが望んでいた息子への取り組み方です。

早速お願いして検査のその日を待ちました。そして検査結果の報告の当日、妻と連れ立って主治医のもとを訪ねて行ったのです。

 

検査の結果を主治医曰く“R君は軽い知的障害ですね”といとも簡単に言い放ったのでした。根拠は知能検査の結果から数人の医師で検討した結論だと言うのです。

親としては“え!知的障害?そんな馬鹿な。だって車の免許や携帯、計算や読み書きも普通にできるのになんじゃそら!!” といった感じです。全くもって信じる内容に値しません。

主治医は更に続けます。“そのため、R君は自分の主張を言葉でうまく伝えられず、それがストレスとなるのでしょう。結果、暴言・暴力といった行動に出るのです。” 事情を知らない人にはまことしやかに聞こえるでしょうが、長年息子と付き合っってきた親にとっては非常に短絡的な結論です。

その根拠になっているのは知能テストの結果から来ているというのです。

私にしてみれば、息子のような者が20歳の後半にもなって真面目にテストを受けるとは考えられません。まして専門医であればそのくらいは推測できるののでは無いかと思うのですが、その医師は極めて真面目にそう言うのです。

以前にも今回と同じ結論を言い渡した患者さんがいて、その事が信じられずに転院して行った事例があったとも付け加えました。まるでこの診断に異論があればよそへ行っても良いよと言わんばかりです。ここでもまたお医者さんの誠実さを感じるには至りません。

私は最初この主治医には、息子が発達障害と診断されていることを伝えており、またその旨を書いているであろう紹介状の内容も知っているはずなんですが、そのことについての言及は一言もありません。

私は聞きましたよ、発達障害との関連性はどうなのかと。しかし医師は知識が無いのか詳しく無いのか、あまり要を得た返事が帰ってきません。

結局「軽い知的障害」というだけの結論になっただけでした。大きな専門病院でもこんな状況です、たくさんの患者さんを抱えていても心底から治療に専念しているお医者さんは少ないのでしょうかね。

 

 

こんな話を聞きました

患者さんが病院のルールを守らなかったり、夜中に大声を出すといった迷惑行為をした場合、狭い個室に数日入れられるのだと。後日出てきた時には人が変わっておとなしくなっているというのです。かなり強烈ですね。

息子くらいのレベルではお世話になる所では無いのかも知れません。しかし息子が通院していた心療内科の紹介であり信用していますからね。

 

息子はけっこう年配の患者さんと仲良くなって可愛がられたようで、差し入れの食べ物を貰ったり、タバコを分けて貰ったりしていたようでした。

 

私も週に最低1回は、タバコや喉が渇くので飲み物やおやつ等差し入れていました。本人もそれが楽しみで電話やメールで頼み事の連絡を良くして来ました。

差し入れのついでに面談して話し相手になったり愚痴を聞いたりしながら、そして最後は早く退院したいとお決まりの願いを言うのです。

入院生活の成果は?

結局主治医の診断は変わらずで、息子は軽い知的障害ということで約3ヶ月半の入院生活を過ごした訳です。

その間、どのような治療をしたのでしょうか?息子に聞くと、投薬治療で眠気がひどく、食事や行事以外は寝ていることが多かったようです。行動を抑えるための鎮静剤が主だったのですね。薬名で調べればすぐ分かります。

息子にとって心身ともにゆっくり休めた一面もあったとは思いますが、精神的な改善には結びつかなかったと思います。

一方私達両親にとっては、息子と別居したおかげでリフレッシュできたことは否めません。

 

そんなことで息子の入院生活は短期間ではありましたが、良し悪し両面の結果を残して終了したのです。

そして退院後暫くはこの病院へ通院しましたが、見通しに埒が明かないため元の心療内科へ戻ることになったのです。

 

以上、息子入院の番外編でした。

最後までお読み頂き有難うございます。

 

あるエピソード

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こんにちはノンキーです。

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息子の入院経験について

 実は息子はある時期に入院をした経験があるのです。

例の彼女と付き合っている頃です。

 
ある日、躁うつ症状を治すために入院をしたいと言い出したのです。

確かに現主治医の判断は、息子は強迫性障害躁うつ病だと言うのです。そして躁が出るとテンションが上がり車で外へ出て行くのだと。私は “へ〜そうか!” という感じで、過去色々あったのでこれくらいのことでは驚いたりしませんよ。

 部屋に閉じこもったり、時には車で走り回ったりするのは、躁うつの症状なのか! それを治すために本人の希望で入院したいと言うなら、それも良いだろうということです。加えて我々両親も日頃の息子の行動に落ち着かず、多少の余暇が欲しかったという気持もあります。暫く居ない方がその間だけでも安心して生活ができます。

もしかすると、新規のお医者さんが新たな見解を出してくれて、治療が前進するかも知れません、そういった期待感もあります。

入院となれば費用がかかりますが、手を尽くせば何とかやり繰りできることも分かりましたので、検討の結果その方向で行くことにしました。

 何故息子が入院なんてことを言い出したのか、それは例の彼女の入れ知恵なのです。どういうつもりで言ったのか、息子が病気のせいで働けないということを単純に信じていたのです。そして自分の知り合いが入院することによって、うつ病が治ったので息子にも勧めたと言うことです。

息子は、それでは自分も入院して治療すれば治るかも知れない、という安易な気持ちで親に具申したといったところでしょう。

 

 最初の病院探し

私独自で近場の有名どころを当たってみました。

そこは専門病院で、精神に病気のある多くの患者さんが通院や入院をしています。

とりあえず本人が行く前に、その病院へ行き息子の状態や生活状況を話しました。当然今掛かっている心療内科のことも話しました。

 面談したお医者さんは女医さんでしたが、本人に会うまでもなく、あっさり断られましたね。

こんなお医者さんが果たして精神を病んだ患者さんを治療できるのかと思うほど、非常に冷たい態度であっさりとした言い方です。

“ 息子さんが入院となるとうちには閉鎖病棟しかありません。そこに入ったとしても、夜な夜な車に乗って走り回れたらたまりませんし、事故でも起こされたら迷惑です。今のお医者さんで継続したらいかがですか ”という趣旨のことを言われました。

いやいやだからお願いに来ているのです。そんなことぐらいしかアドバイス頂けませんか?と言いましたが前言覆せずで、私もこのような病院は不適切という判断ですごすご帰って来たのです。

 

改めて紹介頂く

入院できる病院となるとそれなりの規模になるため、多くは存在しません。

心療内科へ行き、主治医に入院の意思を伝え紹介して頂くことにしました。主治医からはこれといったコメント無しで、本人希望であるならと了解してくれました。

早速担当事務の方と打ち合わせをして、その心療内科と繋がった病院を紹介してくれることになったのです。

 

入院の当日 

ベッドの空きを待つこと1週間して連絡がありました。同市内の病院ですが、自宅から30〜40分のかなり山の方で近くには何もありません。自然環境に恵まれ、こんな所で療養すれば病状は良くなり精神も安定するでしょう。

手続きを済ませ、いよいよ入院の日がやって来ました。

息子はというと、準備物の中にお気に入りのフィギアやCD、コミック本などがあり、まるで友達の家へ泊まりに行くかの如く、何か大きな勘違いをしているようです。こんなところが発達障害たる所以でしょうね。


我々両親と息子3人はその病院へ向かって行くのですが、道中以前山村留学に行った時の事を思い出しました。

 その病院へ到着、暫くのち若い担当医との面談です、問診の結果希望通り入院することになりました。

もちろん、持参した私物は没収です。息子はがっかりしていましたが遊びに来たのではありません。帰り際息子はこっそり私に言いました。“あの先生と会いそうに無い ”と、もう付き合っていられません、いい加減にしろです。

我々夫婦はそのことに耳を貸すこと無く、さっさと引き揚げることにしたのでした。

 

次回は、息子の入院生活の様子を書いて行きたいと思います。

最後までお読み頂き有難うございます。

 

良くも悪くも惰性的な生活が定着

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前回は息子の障害年金の受給経緯について書きましたが、NPOについてはその後どのようになっているのでしょうか。

NPOその後について

例の彼女と決別して以来それなりに真面目に通っていましたが、やはり根底に多動性という特性を持っている為、ルーチンワークを主としたNPOの作業は継続するのが困難なようです。それと一つの特徴として、人目が気になるといった事が上げられます。どういう事かと言うと、他人が自分の方を見ている(ジッと凝視している)気がするのだそうです。それも敵視しているように感じられると言うのです。

気にしなければ良いとは思うのですがそれが出来ないのです。と言うより、そもそも他人からジッと見られているということ自体が事実かどうか分かりません。

そうして気になって却って自分の方から見返すことになるようです。その様は傍から見ると何か理由もなくキョロキョロしているようで不自然さが目立ちます。

他人に見られている気がして、逆に周囲を見返す行為が変に感じられる事があるのです。こんな時、相手が悪いとイチャモンをつけられたりするんですね。そうなると外へ出づらくなり、NPOにも行かなくなったりするのです。

そんな時こそカウンセラーを受けて相談する事が必要になります。息子はカウンセラーで “人は敵意を持って他人を見つめることは滅多にありませんよ” と言われ、気を取り直してNPOに参加するのです。

そんなことの繰り返しですからNPOへの通所は定着しません。

 親の気持ち

親としては先々のことより、とにかく現在を安定的に生活してくれれば安心できるといった心境なんです。“先のことを考えても今はどうしようもない、なるようになる、その日は必ず来る”と考えるしか無いのです。

段々と期待のベクトルが下がって来ていますね。でもこんな状態でも定着をしてくれれば、少しは先に進めて将来への展望が見えて来たりするものです。

主治医との関係

休みの日やNPOから帰った時は、必ず車で出かけて行きます。この時点で引きこもり状態は脱出出来ているようです。でも何か不都合なことが起きると何時でも引きこもりOKです。

車で出かける際は必ず小遣いの無心をしてきます。月数万円の小遣いと自身のNPOの報酬を使っても不足するくらい金使いが尋常でないのです。

私は時々息子に頼まれて薬を貰いに行くことがありますが、その際主治医にその事を相談してみるのですが全くアドバイスになりません。

 

ここで主治医と私とのやり取りの一部をご紹介します。

 私;金使いが荒くて困ります。月決めた小遣いを〇万円使うのですが、すぐに使って更に追加を無心してくるのです。何かアドバイスいただけないでしょうか。

 主治医;本人に、決められた事は守るように良く言い聞かせることですね。

 私;そうしているのですが、中々守ってくれません。発達障害と何か関係性があるのでしょうか。

主治医;私は発達障害というのは治療対象としてしていません。本人の精神疾患の症状に対して治療、投薬をしているのです。(分かり難い表現ですがそういうことなのです。)

要は息子の行為は、発達障害との因果関係は不明と言うことなのです。

 

私;自分の思うように行かなかったり、お金を貰えなかったりすると物に当たったり、暴力行為に出るのです。

主治医;あまりにひどいのであれば、病院に入院する方法もあります。

 以上こんな具合です。いかがですか、全く持って間違っていない模範解答ですね。

 しかし、切羽詰まった家族には何ら響きません。

息子を発達障害と診断したのは、この心療内科の現在休養中の前主治医ですからね。引き継いだ現主治医が上記のような内容のやり取りでは、頼りなさを感じざるを得ません。

元々の主治医の復帰を待つしか無いのでしょうか。

主治医と患者、そしてその家族との信頼関係は、病気の回復や安定には最低限必須でしょう。息子は何となく惰性で通院しているような気持ちなんでしょうね。

またまた、お医者さんを変わりたいというような事を言ってきましたが、いつもいつも言う通りにはできません、ここへ通院して前主治医の復帰を待つように言いました。そうですよ、そうするしかありません。

私も精神的に疲れてきました。この先どうなるのかなあという不安はいつもどこかでくすぶっていました。

でも負けてはいられません、気を取り直して元気を出さなくては!とこういう時に考える癖も付きました。

息子も年齢や、世の中との接触を重ねるに従って少しずつではありますが、成長してきている気配も感じられます。地道に努力するしかありませんね。

 

今回はこれで終了です。

最後までお読み頂き有難うございました。

 

素人でもできた障害年金申請と認定

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こんにちはノンキーです。

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障害年金申請

私自身で息子の障害年金申請をしたのは今から約6、7年前位だったでしょうか、当時は在住の市役所への申請だったように記憶しています。

簡単に経緯を書きますと、先ず申請に必要な書類を市役所へ貰いに行きます。私の場合、女性の担当者に説明を受け、提出書類を貰います。結構な量がありましたが見た感じ素人の自分でも何とかなるのでは思いました。

 

息子は20歳未満で初診でしたので、当時の地元のお医者さんへ出向き、その旨を伝えて当時の診断書を書いて頂きました。このお医者さん、真剣さに欠けていて1ヶ月程放って置かれましたが、電話で強く要請してやっと作成してくれました。やはりお医者様の選択は慎重にしないと後々苦労することになります。

 

私見ですが、心療内科はとにかくたくさん開業していますので、安易に決めないことです。合わないと思ったら即座に転院をしたほうが良いでしょう。処方に間違いがあると、俗に言う医源病になります。外傷と違い精神的な病は悪化すると、病気の進行と取られがちですので要注意です。

 

次に病状の経過書の作成です。これは初診から現在までの病状、医者履歴、行動履歴を詳細に書いて行きます。ありのままに素直に書いて行けば特に難しいことはありません

 

現在掛かっているお医者様に診断書、見解書を書いて頂きます。これはお医者様に丸投げでお任せします。

 

最後に、家族の書類とお医者様作成の書類に矛盾が無いか照らし合わせますが、私の場合は、かなりの箇所で整合性が取れていない表現がありました。息子の病気に関する経過や現状の表現に差異があったのです。軽く考えてそのまま提出していればおそらく不認可になっていたでしょう。

年金を支給いただくため、少しでも早く提出したいのはやまやまですが、ここは一息入れ落ち着いて、再作成をしなければと提出を思い留まりました。

市役所へ再度行き書類の再発行をお願いしましたが、この時の担当の女性が非常に対応が良くて割とスムーズに書類を一式頂くことができました。

 

帰宅後早速、お医者様作成の内容に則した内容に書き換えです。その書類を参考にしながらだと割とスムーズに書くことができます。最初からそうしておけば良かっと反省です。

これ以外にも手続きに必要な書類は数点ありましたが、それも提出書類の一覧表に従えば難しいものはありません。

 

最後に内容を精査の上提出をすることにしましたが、ここまで2ヶ月程を要しました。最初のお医者さんの診断書が遅かったのが時間が掛かった要因です。そこがスムーズに行けば1ヶ月もあれば完成するでしょう。現在であれば専門の社労士さんにお願いすればもっと早く、楽にできるでしょうが当時はそんな事は頭にはありませんでしたね。主治医からもそのようなアドバイスは無かったと記憶しています。

 

そして待つこと1〜2ヶ月後に認定の連絡書類が到着しました。嬉しかったですね、等級や金額は記しませんが、とにかく息子に対する経済的負担が軽減することになったのです。一般的な公的年金と同じで指定金融機関に振り込まれます。

 

私の場合はたまたま恐れ知らずで作成した書類(慎重に矛盾点が無いように気を付けた)が通ったのですが、専門家に依頼すれば費用が掛かりますが違った結果を得られていたかも知れません。でもこれは分からないことです、人間欲を出してはいけません、欲を出すとキリが無いのです。現状で満足することが大事ですね。

 

以上が障害年金を取得した一連の経過ですが、我が家の場合は私が既に退職していたことや、また赴任先での滞在を息子の関係で延長していたこともあってかなりの経済的な負担がありました。世間体などを気にする余裕は無かったのです。

障害年金は確か5年ごとの更新が必要ですが、現在も息子は支給を受けています。

病状が改善して通院の必要が無くなり、経済的に独り立ちできれば不要になるでしょうが、現状そのような見通しは全く感じられません。

 

息子が生まれ現在に至るまで、家族にとってまた本人にとっても予想だにしなかった波乱万丈の人生でしたが、まだまだこんなものでは無かったのです。

 

今回は以上です、最後までお読み頂き有難うございました。

 

発達障害は個性なのか障がいなのか?!

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こんにちはノンキーです。

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息子の仕事はその後どうなった

NPOで始めた清掃関係の仕事は例の娘と交際し始めてからほとんど行っていませんでした。毎日のように車で出掛けては送り迎えをしたり、二人で遠出をして遅くに帰って来たりとやりたい放題でした。

お金が不足すると親に無理を言って無心をする、そんなことの繰り返しで毎日を過ごしていました。

NPOの担当の方が自宅を訪問して話を聞いたりしているのですが、仕事に行かない理由を体調のせいにしているのです。実際は遊びが忙しくて行かないのが事実なんですがね。

その内全く行かなくなり、NPOの担当者も様子見に来なくなって繋がりが途絶えました。

私としても放っておくことは相手に迷惑を掛けることになるため、NPOの方に再度、息子の働き口の紹介などをお願いしたのですが、本人がその気にならずこのNPOでの仕事は完全に終了しました。

せめて2年間は通所し、その先の見通しを語るくらいにはなって欲しかったですね。

 

どうも息子は発達障害の症状として、多動性というものを持っているようで、一箇所に定着するとか物事を継続するといったことが出来ないようなんですね。苦手というのでは無く出来ないということなんだと思います。健常者が苦手なことを克服するという意味では無いんですね。

 

カウンセリングを開始

さてそれからどうしたかと言うと、ある日“カウンセラーを受けたい”と、またまた突拍子もないことを言い出したのです。

カウンセラーを受けるって何を相談したりすることがあるんかいな?と思いますよね。でも本人は何か目新しいものを求めるといった習癖があるのでしょう、いたって本気モードです。

前向きになっているのならそれも良いかと思い、ネットで検索するとこれまた色々とあるんですね。でもね、カウンセラー料って結構高くて1時間一万円とかするのです。どこまで専門性を持ってやっているのか全く未知の世界ですので見当が付きません。まして息子のような発達障害を持った相手にどこまで真剣に取り組んでくれるのか、役に立つのかと疑問を覚えます。

できるだけリーズナブルで息子にとって行くことが負担?にならない軽いところは無いものかと調べてみると、自宅から少し遠いですがありましたよ、女性でベテランかつそれを生業にしている年配の方がしているカウンセリングが。事前にお会いして状況説明等した上で週1回を目処に通うことにしました。私から見ると何もしないよりはマシかなと言った気休め程度ですね。それでもここに通いながら、あるNPOへの紹介(と言っても私が見つけてきたのですが)を受け、そこへ週2回ほど通所することにしました。そこは鬱病を患っている人を中心としていて、仕事は広告やビラの折り畳みや整理といった軽作業です。

息子の生活パターンは、心療内科に通院し、カウンセリングを受けつつ、NPOへ通うということになったのです。収入は殆どありませんし支出の方が勝るため経済的負担は大きなものがありましたね。

 

障害年金受給

そうこうしている内に、どこで聞いたのか障害年金という言葉が入って来ました。収入が無く無駄の多い子どもを抱える親の共通点として、経済的な問題は深刻なものです。我が家も例外ではありません。

早速、心療内科へ行き主治医にその旨を伝えました。主治医は否定はしませんでしたが一言“SRさんが、今後障害者として行きていくことになりますが良いですか?”というような事を言っていましたが、良く意味合いは理解できませんでした。言われるまでもなく承知の上です。お医者様には必要書類を書いて頂くのですが、手続きは私自身ですることにしました。今であれば社労士さんに依頼すれば良いのでしょうが、この時はそんな知恵は私にはありませんでした。手探り状態での申請業務を始めることにしたのです。

 次回はこの障害年金の申請から取得について、素人ながら実施した内容について書いて行こうと思います。

 今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

不適切な交際は早期に断ち切ることが肝要

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さてさて前回までは警察騒ぎまでなって大事でした。

今回はどのようにしてあの始末の悪い娘と引き離したのか、その顛末を書こうと思います。

 

出来の悪い子供に対しては子供任せでは中々解決はしません。いくら世間常識や正しいことを唱えても、本人がそう思っていないのですから改善するわけは無いのです。世の中の常識はそういった子供の常識では無いのです。

そうした場合は、他の協力を得るかそれが当てに出来ない場合は勇気を持って親が対処するしか無いのです。世間体や自分のプライドなど考えている暇はありません。即実行です。

相手の家へ乗り込む 

私は常用しているインターネットを使い、数少ない情報からその娘の自宅を突き止めました。親が商売しているとか自宅付近の有様等割と簡単に分かりましたね。車で約40分の所です。

早速妻とその家を訪ねました。たまたま父親が外で仕事中で我々に少し驚いたようでしたが、話はすぐ理解したようでした。その親にとっても心配事だったのでしょう、詳しくは場所を変えて近くで待ち合わせましたが母親は拒否して来ませんでした。娘との折り合いが相当悪いようです。想像に難くありません。

先方も息子のことは知っておりましたが良い印象は持っていません。

驚いたのは娘が親に話している内容がことごとく虚言だったということです。息子の母親に気に入られているとか、入院したので見舞いに行ったとか、歓迎されているとかです。まあ相手の親も自分の娘の事を良く理解していないのですね、まともに信用したんですかね。

その親と話していても軽さを感じて真剣さが足りません。

とにかく、二人を今後は会わせないようにして欲しいと訴え、相手の親から息子に “娘には今後一切連絡しないように!” ということを直接伝えて貰うようにしました。相手の親も私達同様甘い親です。子供の教育には親は勇気を持って戒めないと、どんどん増長することになるのですね。

 

そしてその日はやって来ました

娘の父親はその日の夕方、我が家に予定通りに来ましたが、たまたま息子は出掛けており、帰宅を待って駐車場に車が入って来るやいなや駆けつけ息子に向かって、“今後一切娘とは連絡をするな、守らないと承知しないぞ”というような事を言ってそのまま立ち去りました。

何があったのか一瞬呆気にとられた息子は私に聞いてきましたが、“相手の親が娘との交際を断りに来たのだ。言われたように今後は連絡があっても一切相手にしないようにな!”と言ってそれ以上相手にしません。息子は渋々部屋に入っていきました。

 

これで一件落着かと思ったのも束の間、それからが大変でした。

娘の親が帰宅後、本人へことの経緯を説明してからです。

娘は息子への電話攻勢です。しつこく夜中まで掛けて来ます。やはりそういった娘なのでしょう、一筋縄では引き下がりません。息子が電話に出ないと分かると今度はメールでこれでもか、これでもかと送っって来ます。文面は “あんたの親が私との付き合いを断ち切るために家に来た,あんたはどんなん?” といった訳のわからない、興奮状態に入っています。 息子は私を問い詰めますが私は全否定します。向こうの親が断りに来たのだと。でも息子は中々引き下がりません。娘の勢いに戸惑っているようですが返事はしませんと言うより出来ません。この状態がしばらく続いたのですがその内諦めたのか連絡が途絶えました。

相手も諦めたのでしょう、とにかく自身の行動に問題があることを認めない、気が付かないとこういった行動になるのです。息子と相手の娘、似た者同士の大いに迷惑な出来事でした。

 

この出来事から学んだ事

何故息子の異性関係はまともな交際が出来ないのでしょう。相手の資質にもよりますが、息子自身が醸し出す雰囲気によるところが大きいのです。それは息子が発達障害であることを知らないため、人の良い自分の思い通りになる男に見えるのです。大きな勘違いをしているのですね。

少し説明が難しいのですが、息子は自分が発達障害であることを明かせば、おそらく付き合ってくれないであろうことは分かっていると思います。従ってそれは告げずに女友達が出来たのが嬉しくて相手の言いなりになるのです。この言いなりになるという事が相手にとって都合が良く言い替えれば利用する事になるのですね。ここに気が付かないのが息子の発達障害たる所以なのでは無いかと私は思うのです。

この娘との約2年間に渡る関わり合いは、息子の人生にとって最悪な出来事であったと思います。また機会があれば個別にこの娘との出来事を書いて行こうと思います。

 

今回も最後まで読んで頂き有難うございました。

 

公的機関は余程の事件性がないと介入しない

悪い友達は力ずくでも引き離せ

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こんにちはノンキーです。

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さて息子の暴行から端を発し警察に出動願いました。

親子に対してそれぞれ事情聴取が始まりました。

 

その後の経過

親子に対して別々の部屋での聴取ですので、それぞれの言い分に差異があれば整合性を取る必要があるのでしょうね。

私の言い分は、とにかく今回のようなことが通常では通用しないということを息子に認識させることが目的なので、そのためには何らかのペナルティがあって然るべきだと思うのですが、公的機関はあくまで双方の言い分を聞いた上で公平な処置を下すという考えです。

 

息子はと言うと自分の行った行動は認めた上で、私が息子に対し程度の差はあれ同じく暴力行為を働いた?と訴えているのです。原因はともあれ暴力行為は同等の扱いになるのでしょう。警察はそのことが双方に対し両成敗になるという判断ですね。

私自身手を出したという明確な記憶は無いのですが、息子は覚えていて自己防衛上そういった事を訴えたのでしょう。ずる賢いなあ!

警察としても、暴力行為があったとしても親子間の喧嘩ということでもあり、あまり大きくは取り上げたくなかったように感じましたし、逆に私に対して冷静な対応を求めてきたぐらいでした。

警察のような公的機関は、あくまで法律に則って裁定するわけで親の感情や言い分を考慮して結論を出すわけではないのですね。

とは言っても息子の言動は大いに問題があるわけで、担当官は息子に対して厳しい口調で戒めていました。きちんと通院して、仕事にも真面目に取り組むようにとか、金銭の問題についても言及していました。この点は有難かったですね。息子は分かったかのように殊勝な態度で聞いていましたが、果たして改善するのかどうか過去の経緯からすると半信半疑です。多分 “喉元すぎれば熱さ忘れる” と言ったところでしょう。

今回の騒ぎについては、警察としては親子間の問題としてお互いをたしなめて無事解決といったことでしょう。

しかし私としては不十分さを拭えません。もっと強烈に決めて欲しかったのですが、駆け付けた時には既に息子は大人しくしていたし、連行するまでの必要性はなかったのでしょう。約1時間程で引き上げて行ったのでした。

以上で今回の一件は終了です。やはり少し物足りなさを感じますね。

 

息子自身のその後はどうなった

警察が帰った後、本人から私に和解を求めてきました、同時に今後は警察を呼ばないで欲しいと言ってきました。しかし自身の行動をどのようにするのか、改めるのかといった改善内容については一切ありません。

ここで妥協すれば元の木阿弥で何の意味も成しません。私は息子の申し入れについては息子次第であることを伝え約束はしませんでしたね。息子は今までの人生を親に頼りきって生きて来ただけに甘く見ているのでしょう。このように育ったのはひとえに親の責任であることは言うまでもありません。この状況を打開しない限りは息子との決別は不可能です。ここで言う決別とは息子の自立を意味します。

 ところでその後息子の生活態度はどのように変化したのでしょうか。

我が家に出入りしていた迷惑な女性は、息子から一連の事態について聞いたにもかかわらず、悪びれる様子もなく自分には関係ないといった顔で出入りをするのです。ついには自転車まで持ち込んで我が家から学校へ通い出す始末です。その娘の家庭環境から想定するに相当出来の悪い子供に相違ないと思われます。息子と変わらないでしょう。その様な娘が同じ部屋にいるだけで息子の精神衛生上良くないことは明白です。相手の親はどのように考えているのでしょう。

ある日の夜、息子の部屋で喧嘩をする大きな声が聞こえてきました。お互い罵り合いです。近所迷惑ですね。

私としてはもう限界です、夜にも関わらず家に電話して親に迎えに来て貰うよう、そしてもう泊まりに来ないよう本人に告げました。

さすがに本人も居づらくなったのか、帰ろうと立ち上がったその時、何をとち狂ったのか息子が引き止めにかかったのです。私が促しても引き止めて言うことを聞かないのです。夜中ですし仕方が無いかとその日は泊めることにして翌日帰らせました。後日分かったことですが、その娘の父親が迎えに近くまで来ていたようで、結局家が分からず帰ったということです。

ともあれそれからしばらくは遠のいていたようですが、そのうち外で会うようになり、またまたお金の無心が始まりました。その娘は自分が遊びたいがために息子を誘い出して足代わりにしたり、お金の負担をさせるんですね。とにかく質の悪い女性がいたもので前代未聞です。息子もどこまで自覚しているのか断ることが出来ないのです。

 こうなっては息子に任せてばかりはいられません、相手の両親に現状を訴え息子から引き離さざるを得ません。しかし相手の親はどのように考えているのでしょうか、まだ学生の娘がいつもどこで何をしているのか心配にならないのでしょうか。どうやら親には嘘の報告をしているようですね。でも息子と付き合っていることは知っているのですよ。我が家には一度もコンタクトはありませんでしたね。

 

さて次回はこの娘と息子の関係を断ち切った顛末について書いていこうと思います。

 

今回も最後まで読んで頂き有難うございました

 

息子の常識欠ける行動に公共の力を借りるハメになった

息子よ今度は遂に警察沙汰だ!!

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こんにちはノンキーです。

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非常識な女学生現る 

ある日の事です、息子がある女の子を連れて来たのです。その女性は当時大学生で、我が家から遠く離れた自宅から自転車、電車、また自転車と乗り継いで大学まで通っているということです。

どこかで息子と知り合って我が家へ来るようになったようですが、しばらくすると遊びに来ても家へ帰ることなく、我が家に泊まって通学するようになったのです。それも2、3日連泊です。我が家から通学しているのですが、食事やお風呂など通常生活をしているのです。その費用たるや息子の全額負担ですから小遣いはあっという間に無くなります。

息子にはその都度注意し、家に帰るように促しますが言うことを聞き入れません。女子学生本人も分かっているのに息子の言うことを良いことに、家に帰らないのです。

息子にその理由を聞いてみると、当家と同じで親子関係が非常に悪く特に母親との関係については最悪だというのです。だとしても我が家に泊める理由になる訳でも無く、我々には全く関係の無いことです。それでも息子はその子を庇って家に泊めようとするのです。そしてその事を良いことにその子は居座るのです。年齢は19歳で大学生というのです。持ち物や息子の話を聞く限りでは間違い無いようですが最初の頃は信じ難い行動でしたね。

その子との付き合いが始まってからはNPOの仕事はそっちのけで、車で学校の送り迎えや、たまに帰る遠方の実家への送迎、休みの日には遠出とやりたい放題。こうなると親の言うことは耳に入らず、その女性の言いなりになって行くのです。この事を取ってみてもやはり精神的にかなり幼稚さを感じますね。

それにしてもこの女学生は何なんでしょうね。壊れた自身の家庭環境を我が家に持ち込まないで欲しいものです。それでなくてもそれ以上に壊れた我が家の事情があるのですから。

この事で困ったのは金銭関係ですね。女学生が親から貰う小遣いは月2万円というのですから文字通り自分の為だけの小遣いです。

当然の如く息子と遊ぶお金は、全て息子負担ということになり相当の額になるわけで、息子は息子でその女性に利用されているとも気が付かず、それを息子は親に要求してくるわけです。こんなことで親子関係の構築ができるはずがありません。

 

 そしてある日こんな事がありました

 私と妻が出掛けている最中に息子から電話が掛かってきましたが、どうせお金の無心だろうとそのまま無視を決め込みました。そうした所とにかくしつこいのです、何回も何回も途切れること無くかけ続けてきます。このしつこさが少しでも勉学に向いていれば今日の姿は変わっていただろうと思うのですが、ジャンルが違うし時既に遅しです。

ついに電話に出ること無く家に到着し駐車場に車が止まるや否や、息子が飛び出して来たのです。片手にいつどこで入手したのかメリケンサックが嵌めてあります。何事が起こるのかビックリしましたよ。何のためにこんな物を必要とするのか?まさか今回の為では無いでしょう。

どうせ親から貰った小遣いで買った物でしょうが、こんな物を買っていればいくらお金があっても足りる訳がありません。

そして、車から降り立った私の右肩をそのメリケンサックで殴打して来たのです。いくら軽く打ったとしてもそこそこの痛みはあります。“何をするんだ、気でも狂ったか!”と言い、すぐに家へ入るように促しました。

家に入ってからもその威勢は変わらずえらい強気です。勢い余ってメリケンサックを投げつけ窓ガラスを割ってしまいました。

背後に女学生からの誘いがあるのは明白です。どんな用事があるのか“3千円くれ”という要求です。少額なので渡せばその場は収まるかも知れませんが、またまた悪い習慣を付けてしまいます。

 警察への通報

危険を感じた私は咄嗟に考えました。そして妻に警察へ電話するように指示したのです。妻は躊躇していましたが、今回は何が何でも警察へ通報して、こんな事が世間的にも親子間でも通用しないと息子に認識させるためには必要なんだ、との強い意思で、私自身が110番へ直接警察と話しました。

“息子が家で乱暴を働いている、すぐ来て欲しい”と、この時私はパトカーのサイレンは鳴らさないようにお願いをしました。その事を了解の上、警察は“住所は?名前は?------、了解、5分で行きます”と言って電話切断。

これを見た息子は、警察への電話を掛けないよう懇願していたと思いますが、そんなことにはメゲず通報終了です。警察、約5分で到着です。先発で近くの交番から巡査が玄関チャイムを鳴らして入ってきます。続けてパトカーで来た警察官が4、5名で大人数です。少しびっくりしました。

この時既に息子はかなりトーンダウンしており、自分の部屋に入っていました。

警察は数人が2階へ上がり何やら息子と話しています。私は打たれた肩や割れた窓、経緯等事情の説明です。

暫くして警察に伴われて息子が降りてきました。それぞれ別れての事情聴取です。この時点での息子は警察の手前もあっておとなしくなっていました。こんな芸当はできるのです。普段から息子の行動がどんなのかは家の中や息子の部屋を見れば一目瞭然です。警察も分かっているのでしょう、その上での事情聴取です。

 

私は言いましたよ、警察へ連れて行って一晩でも二晩でも泊めてほしいと。その後必要であれば迎えに行きますとね。

 

しかし、しかしですよこれ程明白に息子に非があるにもかかわらず、警察の対応は違った物になって行くのです。私としては大いに納得が行かないものでしたね。

この事は次回に書いていこうと思います。

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

 

何故息子の生活は安定しないのだろう!“類は友を呼ぶ”

思いもよらぬ主治医の休診で生活に変化

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こんにちはノンキーです。

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 やっと息子が社会に出ていくための体制が整ったとひと安心したのですが、息子に限っては中々期待通りには運びません。

主治医の長期休診

ある日、息子をお医者さんへ連れて行ったとき主治医のR先生が体調を悪くされ休診になっているのです。その時は代わりの先生が診て下さいましたが、その次の時も休まれているのです。聞いてみるとしばらく体調不調のため休診するということです。

この時点では回復の見通しは不明で、それまではもう一人の先生に診ていただくことになるのです。この医師もR先生の肝いりで決して悪くはなかったのですが、息子にはなぜか合わなかったようでした。

R医師のように息子の訴えに対し、理論的に説明して納得の上で薬を処方するというより、息子の訴えを聞いてはやたらと薬を変えていたようで、そのことがお互いの信頼関係を維持できなかったように思います。

医師と患者の信頼関係は、その医師が名医であってもなくても最低限必要な条件ですよね。

息子は通院する度にR医師の復帰を待ち望んでいましたが、何時復帰してくるのか全く目処が立ってなかったですね。

NPOへの仕事を休みがち 

その頃からですか、せっかく働く場所が見つかったというのにNPOの仕事を休みがちになります。

働き始めてどのくらい継続して行ったのか、おそらく2、3ヶ月位ではなかったでしょうか。

最初は慣れない環境ということもあり、ある程度は仕方のないことかも知れませんがそれだけでは無いようです。やはり継続するということに難があるのでしょう。過去に成功体験のない息子ですから止むを得ません。

それともうひとつ考えられるのは、働かなくても生活ができる、食べていけるということです。これが継続しない大きな要因なのだと思います。人間としての義務感というものがかけらも形成されていないのです。頑張らなくても何とかなって来たという自分に対する甘さ、またそういう息子に対して親も甘いのです。

日常行動の変化 

NPOへの通勤は前述の通り自転車で行っていますが、そうでない時の行動は例の車を使うのです。一人で使うのには燃料費や維持費が多くかかります。そしてとにかくこれといった用事もないのに走り回るのです。仕事に行き始めた頃はそうでもありませんでしたが、慣れてくるに従って多くなって来たのです。

 

その結果、街中を走り回るうちにコンビニ等で停車中に声をかけてくる男女がいるのですね。息子は友達がいないのでそういった声かけに弱いのです。知り合いになろうとして良いカッコをします。

車の自慢やあたかも仕事をしていてお金も持っているような素振りをして、その者たちと親しくなろうとするのです。

少し理解し難いことではありますが、こういった遊びに関する会話や人付き合いはできるのです。

 しかし一人前でない息子が一人前の付き合いをするには限度があります。ましてや相手は息子のことをお金を持っていると誤解をしているのです。悪く言えば息子のお金を利用しようとする者たちが多いのです。

当然息子は言う程お金を持っているわけでなく、所持金が底をつくと親に要求し始めます。こんなことがいつまでも通用するわけはありません。特に生活費を管理している母親とはこのことで常にバトルです。

大声をあげて罵声を浴びせ近所迷惑もいいところです。とどのつまりは物に当たり破壊行為が出ます。何なんでしょうね?やはり病気の影響でしょうか。

 

息子に大きな責任がある事は分かっているのですが、声をかけたりかけられたりする男女、特にこの頃は女性のほうが多かったのですが、その人にも問題があるのです。夜遅くにコンビニ等でうろついていて息子が声かけると付いて来る。こんな事は普通では考えられないでしょう。

その子自身も親の注意に耳を貸さない、自分勝手な若者なのです。

 

とにかく夕方になると出かけるといって金銭要求をしてくるのです。

仕事の方はいつものパターンで行ったり行かなかったりと安定しません。NPOの世話役の方が時には来宅して、息子の様子を観ながらシフトの検討や仕事内容の配慮をして下さるのですが、最初は行くのですが続かず、行ったり行かなかったりとなります。

 

やはり主治医が変わったことの影響はあるのでしょうね。息子には誰かリスペクトのできる人物が必要なのでしょう。

本来それが親であるべきなのだと思いますが、人の良い甘い親にはそれが出来なかったのです。反省すべき点ですね。

 

そうは言っても何故息子には良い友達が出来ないのでしょうね。昔から言う“類は友を呼ぶ”これがピッタリと当てはまります。

息子自身が態度や風体を正さなければいけないのが先決なのは分かっていますが、せめて一人でも手本となる若者が友達となってくれることはなかったのでしょうか。

いやあったのかも知れませんが、息子が敬遠して続かなかったのかも知れません。と言うことはやはり本人の姿勢を正すのが先決と言うことですかね。親がきちんと正しく指導しないとだめですね。

 

そんな中、息子の付き合いや金銭問題を原因とした、親子関係の不安定で不穏な生活の到来です。

 

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。