ノンキーオヤジの 人それぞれ ・ 人生いろいろ

そうか!息子は発達障害だったのか !? 親子の葛藤 と顛末記

晴天の霹靂・家族を襲った大事件

ドクターショッピングを繰り返す息子に何が起こったのか?

こんにちはノンキーです。 

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いよいよ我々家族のドクターショッピングが始まったわけですが、時期は2005年頃ですね。

最初の心療内科を皮切りに→もう一方の紹介された心療内科→大学病院→他県の専門病院など数軒のお医者さんの診断を受けてきました。

しかし、何処もこれといった的確な診断は無かったように記憶しています。

大体同じような基準に照らし合わせて診断したり、また前に通院していた医者の処方薬を聞いたりで、オリジナリティ性がありません。

結局、息子SRの元気が無いという症状だけで判断して、診断名は“うつ病” とかになってしまいます。

そうなると処方薬はうつを改善する△△系のたくさんある中の一つを見繕って出すということになるのです。

対症療法でも良いのですが、根本原因を掴んでいない限り、これでは目の前の症状さえ改善できないのです。

余計悪化方向になっています。

 

こんな折り私は感じた事があります。

いかに心療内科の開業医が多いのかと。そして多くの通院している患者さんが待合室で順番を待っているのです。予約制で無い限り、1時間待ちは普通ですね。

そして待合室の雰囲気は“推して知るべし”です。

 

次から次へと呼ばれて診察室へ入っていきます。

一人あたりの時間が3、4分で出てきます。初診の時はもっと長く時間をかけるのでしょうが、2回目以降はそんなものです。

もし初診で正しい診断ができなかった場合、そんな短時間で診断結果の軌道修正ができるのか?と思います。

素人の私が言うのは筋違いですが、息子SRのこれからも続くドクターショッピングの経過を見てそう感じました。

主治医は患者さんの投薬後の症状を聞いて、ほとんどといっていいほどこう言います。“もうしばらくこのまま様子を見ましょう” と。

改善の兆しが見えてる場合は良いのですが、息子SRのような場合でもそう言います。次の手が中々見つかりません。

 

息子SRの日々の生活ぶりはどうなっているのでしょう。

留年が決まった学校へは相変わらず行かない日のほうが多いです、

親は半分諦め気味で以前のようにうるさく言いません。
むしろお医者さんから“うつ病”なんて病名を貰ったため、それが気休めになっていたのかも知れません。

毎日だらだらと、引きこもりと時々の外出、そして家庭でわがままを言っています。

この時、息子SRは既に携帯電話を所持していました。携帯電話を持つことは時代の先端を行っている感じでしたかね。こんな事には敏感なんです。そして夜な夜な、日中もどこかへ電話をしているんです。
今みたいにパケ放題、かけ放題の時代では有りません。この頃ドコモの上得意様になったのです。

笑い事では済まされません、通信費だけで何万円にもなるんです。

家計直撃です。こんな事は20歳近くもなれば、親が注意するまでもなく本人の自覚で修正できる範囲の事でしょう。それが息子SRにはできません。全く反省も改善の欠片も無いのです。

これでは親子関係は大揉めに揉めます。
金銭で親子が揉めたくは無いのですが、今回は限界を超えています。
私は厳しく息子SRを叱責しました。この頃の私の叱り方に常軌を逸したものが有ったのかも知れません。 

そんなある日の事です

仕事中に妻から携帯に緊急電話が入ってきました。
K察が来ている” それも息子目当てに。

そうです、大事件が起きた(起こした)のです。

息子SRを任意で連れて行くと言うのです。

のんびり屋の私もさすがに慌てましたよ、何かの間違いだろうと。
何か事件に巻き込まれたに違いないと思いましたね。

できるだけ早く仕事を済ませ帰宅しましたが、その時には息子SRも妻も家には居ませんでした。K察に行ったのか?と思いました。

何が起きたのか詳しくは分かりません。私はその足でK察へ向かいました。

待つこと数十分、担当官が出てきて、その方曰く “--------------”と言うことでした。
内容はここでは詳しくは書きませんが、いずれどこかの時点で書くかも知れません。

我が息子がこんな事をしでかしたのか!と思うと本当に情けなく、やり切れない気持になったものです。人生で初めて味わった気持でしたね。

 

次回以降はどのような顛末になっていったのかを書いて行こうと思います。

ではまた宜しくお願いいたします。 

 

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大人の発達障害ってそういうことだったのか その後 [ 宮岡 等 ]

 

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大人の発達障害ってそういうことだったのか その後

最初の通院からドクターショッピングが始まって行く経緯

仕方がなかったのか、当時の医療事情と社会のレベル

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心の風邪とは?

息子SRはついに先生の勧めもあり、紹介された診療内科へ行くことになりました。紹介されたのは隣の市の開業医ですね。

我々両親も心療内科とはどのような所か、全く予備知識はありません。

受診にあたって特に抵抗することもなく、素直に行ったと思います。

行ったのはこじんまりとした建物の、受付の女性2名と先生だけのお医者さんでした。

受付を済ませ、問診票に記入してしばらく待って診察室に入ると、そこには50歳代位の品の良いお医者さんがいました。

先ず血圧測定、スネを木槌のようなものでたたいて脚が反応して上がるかどうかのチェックです。

次に問診票に沿っての質問が始まります。息子の様子を伺いながらの質問ですがマトリックスでしょうかね、何か用紙に記入しています。

息子SRは他人とのコミュニケーションができないのですが、その様子を見て、精神的に落ち込んでいる、元気が無いという見立ての末に、付けた診断名は “うつ病 でした。

そして付け加えて言った言葉は “心の風邪” という表現です。その時は“言い得て妙、さすが専門科だ” と感じました。

心の風邪という表現は、我々にとって新鮮な言葉に聞こえました。
この先生だったら何か良い対応策を講じてくれるのではないかと。

この言い方は文献や専門書にも良く出てきますね。

 診断は適切だったのか?

その時は “そうか息子SRはうつ病にかかっていたのか、それで元気がないのか”   など簡単に考えてしまった節があります。

専門科の見立てに間違いはない、と全面の信頼を寄せたものです。

処方されたくすりは抗うつ剤ですね。

先生曰く “2、3日すれば元気になるでしょう ”との事でした。

処方された抗うつ薬名はここでは伏せておきますが、その効果と作用については下記をご参照くださいね。↓↓↓

ja.wikipedia.org

素人の私が口幅ったい事を言うようですが、現在でも一旦診断名が確定すると医師はその病名に対しての処方を行いますね。

分かりやすく言うと、風邪と診断すれば風邪薬、胃痛であれば胃腸薬、頭痛であれば頭痛薬といった具合にですね。この時点になれば対症療法ですね。

問題なのは、診断名を付けるに至った過程とその根拠だと思うんです。

数年前になりますが、身内が亡くなった時に主治医が言ったことに、“近年、肺炎が死亡原因のTOPを占めている”と言うのです。

昔は肺炎は第3位くらいだった記憶があります。
そもそもの病気の原因は、内臓疾患であったり、怪我やその他の病気や老衰で有ったりとしますが、入院中に肺炎を併発してそれが死因になる場合が多いということですね。結果死因は“肺炎”ということでしょう。まあ統計をとる基準も変わるのかも知れませんので一概には言えませんが。

 

息子SRの場合はどうだったのでしょう。

現在の医療環境であればおそらく“発達障害”の診断が付くでしょう。細かい診断名は別にしてもそうなると思います。

幼児の時に分かっていれば、療育ということになるでしょうし、大人になって判明すれば、投薬と並行して本人に合った生活環境のアドバイスもあるでしょう。

その投薬ですが、抗うつ剤という対症療法だけでなく、さらに踏み込んで慎重に処方してくれるに違いありません。

 

しかし残念ながら、当時はそういう時代ではありませんでした。

その時代にそういった特性を持って生まれた子供は、不幸と言えばそういう事も言えますが、中には親の対応、努力によって乗り越えられた家族も多くおられます。私の親戚にも心当たりがあります。

 

話は戻って息子SRの場合はどうだったでしょう。

薬を飲み始めてしばらくは変化は無かったので、再度通院したりしながら効果の期待をしていました。

そうする内に行動に変化が現れ始めました。それは徐々に荒っぽくなって来たのです。言葉遣い、動作、それに伴う車での外出頻度の増加などです。見るからにイライラ感を感じます。

間違いなく薬の効果でしょうが、考えていた状態とは差異が大きすぎます。

状況を主治医に話すと、“ その内治まる ”と言うのです。

本人を連れて行き診断してもらいました。

しかし息子SRはいつものように他人の前では、殻を被ったようにおとなしいのです。

主治医の問いかけにもキビキビ反応しません、頷くだけです。
主治医は勘違いしますよね。正確な診断ができるのでしょうか?

結果は、薬が効いてきていると判断したようです。
そして同じ薬を継続して出してきます。

親は先生を信頼しているので、薬の見直しなど到底要望することなど考えるはずもありません。

『またまた言いますが、息子SRの根底には発達障害と言う障がいがあるのです。それが見極めできなければ、副作用のあるかも知れない抗うつ剤を投与し続けるしかないのです。』

 

我々両親は、改善の見通しが益々分からなくなる不安を感じながらも通院を続けて行くうちに、転院を考えるようになりました。

そして担任の先生が紹介してくれた、もう一方のお医者さんに行ってみることにしたのです。

 

いよいよ我々家族の果て無き “ドクターショッピング が始まるのでした。

そして、あの大きな出来事へと発展して行くのです。

続きは次回書いて行きます。

最後までお読み頂きありがとうございました。 

 

息子SRはなぜ心療内科を受診することになったのか?

息子SRの運命を左右した心療内科受診までの経緯

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こんにちはノンキーです。

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 そう言えばこの頃からですかね、息子SRの風貌が徐々に変化していったのは。

髪は茶髪、耳にはピアスといった当時のはやり言葉で言うと、“ ヤンキー”ですね。いや実際はヤンキーまがいです。

本人はそう言われることが何か嬉しく得意そうでした。

A君と夜な夜な遊び回ることによって、そのような風体が格好良いと思うようになったのでしょう。服装もしかり、俗にいう腰パンですよ。

そしてこの格好で学校に行くのです。(時々ですが)

両親がいくら戒めても止めることは有りません。

A君自身を私はあまり見たことはありませんが、会社勤めをしていますので息子SRのような格好はしていなかったと思いますが定かではありません。

想像してみて下さい。

朝は遅くに起きてきては朝食を取ったり取らなかったり、昼間は用事があれば母親を引っ張り出して運転手、それ以外は部屋に引きこもり、夕方になると学校へはめったに行かず、夜遊びに行く。

こんな日がずっと続くと家族は精神的に落ち着きません。

放っておけば良いと言ってもそうは行きません。

小言の一つも言いたくなりますし、時にはきつく叱ります。

そのような状態ですから、家庭での親子関係は悪くなる一方です。

そして息子SRの行動は悪い方向へどんどんエスカレートして行くのです。

 この頃でしたね、タバコを吸い始めたのは。

19歳前後ですから法律違反でしょう。(未成年者喫煙禁止法

ある日のことです。

妻から会社へ緊急の電話です。携帯電話を保有していたのかどうか記憶が定かでありませんが、とにかく電話が入りました。

息子SRがベルトを振り回して、自分の額を直撃して怪我をしたというのです。日頃の妻の態度から想像もできないくらい動揺しています。こんなか弱い一面が有ったのかと私は驚きました。

おそらく自分の子どもからの攻撃がショックだったのでしょう。

私は詳細が不明のためすぐに帰宅し、怪我の状況を見て医者に連れて行きました。額を少し切った程度でしたが痛みはかなり有ったようです。

これ、息子SRの親に対する暴力ですよね。これは許せません。

本人を今まで以上に強く叱りつけ、そしてペナルティを課しました。

このペナルティは息子SRにとって一番こたえること、それは小遣いのカットです。

普通であればペナルティを与えられれば反省し、二度と繰り返さないというのが一般的常識でしょう。

しかし息子SRの場合は違ったのです。益々親に対し反抗的になったのです。この思考回路からして何か違和感を感じませんか?

しかし当時はそんな事は微塵も感じませんでした。諭しても叱っても分からない息子SRに親は大いに腹を立てたものです。

親子関係は最悪です。

 そして家族だけでは息子SRの行動の改善が見えない事から、私は担任の先生に相談に行きました。

家庭での状況を説明し何とか善後策は無いものかと相談したのです。

先生は非常に良い人柄で良く話を聞いて下さいました。

しかし本人が学校に来ないので指導するにもどうしようもない。
また、褒めてあげようにもそれに値する行動もない。

極めて明快なお答えです。学校に行かなければどうしようもありません。息子SRはここに至っても不登校をしているのです。

先生としても為す術がありません。と言いながらも自宅へ来て本人に話をしていただけることになりました。感謝です。

そして先生が話している時だけ殊勝な態度で聞いています。

先生が帰ったあとは反省の色もなく、行動の変化は見られません。

年齢が増すごとに状況は悪くなっていきます。
色々と手を尽くして来ましたが、今までで一番悪い状況になっています。

学校に行けなければ働けばいいと思いますが、それもできません。

根底にはこの時は分からなかった発達障害という、誰ももちろん当事者も自覚のない理解不能な思考、行動をするのですから。

 

息子SRは19歳になっていました。

この頃はA君との付き合いは少しずつ減ってきたようでしたが、反面部屋に引きこもる時間が増えて来ました。

世間では“引きこもり”という言葉がチラホラ聞こえ注目されるようになって来たのです。

引きこもりの子どもを抱えている家庭であれば、余計に意識するためこの引きこもりと言う表現が身近に聞こえてくるのでしょう。

息子SRの引きこもり度合いは時が経つに連れひどくなっていきました。1日中家から出ず、出る時は相変わらずの行動パターンで建設的な行動はひとつも有りません。

私はこの現状を見て、辛抱強く根気よく言って聞かせることはここに至ってはもうしないのです。息子SRをただ叱り続けるだけです。

益々息子SRの態度は反抗的になり、家庭では孤立して行くのでした。

再度の先生の指導にも無反応、そして心療内科を紹介される。

全く学校へ行かなくなった息子SRを心配して、様子を見に来て下さった担任の先生は息子に対し、少し厳しい口調も交えながら、また励まして下さいましたが息子SRは反応しません。

この状況を見た先生は、息子の精神状態が少し尋常でないのでは無いかと感じたようでした。

一度医者に見て貰ったらどうかと言うアドバイスです。

親としては考えても無かったことですが、改善の為にはそういう事も必要かなという思いがしたのす。それほど家庭環境が悪くなっていたということです。

先生から1,2の心療内科を教えて頂き、後日受診をして見ることにしました。

 

ここでまた言いますが、当時は発達障害という言葉はまだ聞こえていません。少なくとも現在ようにこの言葉が社会で一般的であれば、息子SRの今後の運命は大きく変わっていたのかも知れないのです。

次回からは息子SRが心療内科を受診して、その後どんな歩みをしていくのかを書いて行こうと思います。

 

最後までお読み頂きありがとうございました。 

 

 

親子関係はこうして悪化し、最悪の事態を招いて行ったのです。

なぜ両親は息子の行動を事前に正すことができなかったのか!

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こんにちはノンキーです。

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息子SRがA君との交流が始まり、今までのこれといった友人がいなかった鬱憤が一気に晴れたかのごとく、夜になると出かけるようになりました。

一面行動的になって良かったように見えますが、内容が良くありません。夜遊びが過ぎるようになったのです。

通学の頻度は益々減少し、親からはきつく叱られ、唯一A君との遊びが楽しみになったのです。

担任の先生も時々来て、通学を促すのですが、その時は行ってもすぐに休んでしまいます。

自分自身の本分を完全に忘れてしまっています。

 

昼間はどうしているかと言うと、部屋に引きこもっているばかりでは無く、レンタルビデオや趣味の小物を買うために出かけます。

母親の車に載せてもらって行くのです。自力では行きません。

もちろん、母親が仕事がOFFの時間帯に限りますが。

理由は、外で誰か(小、中学時代の知り合い)に会うことを嫌うのです。そのため一人では行けないのです。

そして夜は夜でA君が迎えに来るのを待っているのです。

息子SRが携帯電話で連絡をしているのでしょう。

一旦出かけると深夜まで帰ってきません。
そんな状態ですから、親としてはトラブルに巻き込まれやしないか、いやトラブルを起こさないかと気が気ではありません。

 

更に問題になってくるのが金銭面です。

A君が息子SRの分も負担しているわけではありません。

車で遠方まで行くのですから、ガソリン代、遊ぶお金に多額の金額が発生します。

当時の息子SRの小遣いはいくらだったのでしょうか。

A君と遊ぶまでは、一月当たり5千円です。定かではありませんが、それでなんとか賄っていたのでしょう。

しかし、不足しだすと追加を要求してきます。前述しましたがガソリン代だけでも5千円では足らないですよね。

ましてあちこちで遊ぶとなると到底足りません。

A君はどうでしょう。働いているのでその範囲で使っていると推測できます。

息子SRがA君と同じ行動ができるわけが有りません。

しかし息子SRはそれをしようとして親に要求し、否定されて衝突するのです。

小遣いが無くなると要求してきます。

親は否定します。それでもしつこく要求してきます。

諦めてそのまま出かけていく場合もありますが、翌日も同じく要求するのです。

親は、毅然とした態度で、これを受け入れないようにするのが望ましいのですが、毎回そうも行きません。親の甘さが出てきて、時には多少の小遣いを渡すことになるのです。

これが本人の新たな成功体験となって行きます。粘ればなんとかなると。過去にもこれで成功しています。

段々とエスカレートして金額が張ってきて、親との揉める度合い、頻度が激しくなるのです。

A君の行動が悪いということではありませんが、息子SRと遊ぶと自分の思い通りになるのでしょう。長い間この状態が続いた記憶があります。

親子関係は悪化の一途を辿り、冷静に話し合う雰囲気ではなくなりました。息子SRは家族から仲間はずれになった立場です。

 

ここで、今になって考えると正常な姿とはどういった形だったのでしょうか。

息子SRが昼間の高校へ行くのを挫折して、定時制に行くようになったまでは仕方の無いことでしょう。あくまで本人の意思もありますし、息子本来の特性の要因もあるでしょう。

環境的には、息子SRが苦手とする他人との接触や、コミュニケーションが少なくて済むのです。

であれば、目標である高卒の資格取得のため、真面目に通学する事が重要です。

あわせてできれば徐々に社会に慣れるためアルバイトでもして、自分の小遣いを稼いだり、来るべき就職の準備などすれば尚良いでしょう。

あと2年間、真面目にそして一途に何とかやり通せば、多分その時点よりは明るい将来が待っていたのでは無いかと思うのです。

 

なぜそれができずに親子関係が崩れ、想像もしなかった事態が起きたのか、非常に残念で今も悔やんでいます。

息子SRが今で言う発達障害で有ったとしても、また専門家である医療機関や行政が知識不足で有ったにせよ、何とかできなかったのか?

親としての果たすべき責任を全うできなかったと言う訳です。

私はそう思うのです。

 

今回はこれまでにします。

次回はそれが何だったのか、詳しくは書けないので少しだけ触れておきたいと思います。

では、最後までお読み頂きありがとうございました。

 

疑問が残る、何故息子SRは一定の環境に定着しないのだろう

息子SRの問題行動の発端となったきっかけとは!

 

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こんにちはノンキーです。

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新学期の始まりです。2年目からの再スタートです。

息子SRも目下の目標は定時制高校の卒業です。

あと2年間は真面目に行って卒業することであり、その間に次のステップを模索しなければなりません。

 本人の気持ちの中には、最終目標 “ 就職 ”というのが念頭にはあるようです。良いことです。

しかし息子SRにおいて、事はそううまくは運びません。

 

実はこういう事なんです。

前回記事で少し触れましたが、息子SRには前高校で仲良くなったA君と言う子がいたのです。

A君は前述の水産系高校を卒業して、地元の食品製造会社に就職したのです。

地元とは言っても、自宅から車通勤で30分以上かかる距離で、その会社は我が家を挟んでさらに10分ほどの位置にあるのです。

A君は何時の頃からか帰りに我が家に寄って、息子SRと一緒に出かけるようになりました。

そんな時は息子SRは学校へ行けませんわね。欠席です。

これがたまにであれば良いのですが、週に2~3回の頻度で寄って息子SRと出かけていくのです。

必然的に出席日数の心配がまた出てきます。懲りないですね、認識不足もいい加減にしないといけません。

当然親として本人に注意します、相手の子にも話して配慮するように伝えます。

しかし、意に反し段々とエスカレートして行ったのです。

A君よりむしろ息子SRの方が積極的になって行ったのです。

 

理由は2つあります。

①息子SRは元々社交性に乏しく、今までこれといった仲の良い友達ができていません。それがA君が接近して来て一緒に遊ぶことによって、その楽しさにハマってしまったのです。

②A君は車通勤をしており、息子SRにはそれが羨ましくも有り運転したかったのでしょう。時々運転をさせてもらっていたのです。

嬉しかったのでしょう、親しい友達のいない息子SRに、初めて親しく接してくれたA君です。

今自分が何をなすべきか!そんな事は放っておいて、まわりの状況に影響され流されてしまうという性格です。

またまた親が注意しても言うことを聞きません。

学校へ行くのもそこそこで欠席が多くなって来たのです。

そんな中にあって、A君が誘いに来て息子SRが出かける際、妻の車に乗って出かけるようになったのです。

確かに今まで息子SRの送り迎えをA君がしていたため、A君にとってガソリン代の負担が重くなります。

よって息子SRは自力で帰ってくるために、A君の家までの往復を妻の車を利用するということになったのでしょう。

A君にとっては負担が軽くなり、また息子SRは益々A君との遊びに夢中になって行き、出かける頻度が増えていったのです。

ここでまた問題が発生しました。

それは燃料代です。

息子SRが乗っていく妻の車がいかに軽四とは言え、片道30分のA君の家から更に二人はそこから先の隣町まで30分かけて遊びに行くのです。

そこは賑やかな地域ということも有ってそこまで出かけていくのです。それも息子SRの車で。

これが続けば、燃料費はたまったものではありません。

ガソリンスタンドから、燃料費の確認がはがきで来たほどです。

金額はここでは詳しく書きませんが、極めて常識を外れた高額なものです。(二桁に近いウン万円です)

 

息子SRには厳しく注意をして、またまた自分がすべきこと、その他諸々について諭したことは言うまでもありません。

 

しかし息子SRはここで一つの悪しき事例を学びました。

先ず車を所有すれば友達であれ誰であれ、知り合いができれば楽しく遊べるということ、更に先には触れていませんでしたが、この頃から携帯電話が普及をし始めていました。

個人的に所持している人はまだまだ少数でしたが、息子SRを取り巻く環境にはそのあたりは早いものが有ったのです。

例えば定時制の生徒、働いている人もいますので持っていても不思議では有りません。

それに遊び友達のA君です。A君も社会人です。

息子SRが欲しがるのも無理はありませんが、自身の立場を考えれば時期尚早です。

粘りに粘って、そしていつもの論法です。

“みんな持っている、ちゃんと学校へは行く。A君との付き合いも程々にする ” ということですね。

過去に免許証取得の時に経験した成功体験発動です。

 

私は今になって思うのです。

息子SRに与えた車の免許、携帯電話がいかに時期尚早であったか、今後十数年に渡って続く、親子の葛藤の大きな要因になったのでは無いかと。

車や携帯電話などは、自分自身でコントロールできて所持するものであって、親に世話になっている間は我慢するべきだ思いますよ。

でも実態は違って、今は小学生でも携帯を持っていますし、便利になった以上に使い方を誤ると、事件にも繋がりかねませんね。

子どもが心身ともに自立できるまで、親がしっかりと守ってあげなければならない今の世の中の仕組みなんでしょうか?

ましてや先の時代、2000年代初期の頃は、我が息子SRのような特性(発達障害)を持った子へ対応するスベは確立されていなかったのです。

 

無理もありません。

発達障害と言う言葉も一般的で無かった時代でしたからね。

 

ということで、次回からは親子関係の葛藤が鮮明になっていきます。

  最期まで読んで頂きありがとうございます。

またもやいつものパターンにハマってしまうのか、中々先が見えてこない!

自分が興味のあることには取り組めるが、そうでないと逃げてしまうのか?

 

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息子SRは定時制高校に通い始めて2年目になりましたが、出席日数が少ないため単位不足になっていました。

3学期は単位取得のため頑張って通学する必要があります。

が、そんな折も折、息子SRが自動車免許証を取りたいと言うのです。

それどころではないだろうと思うのですが、自身の置かれている立場が理解できていないと言うか、空気が読めないと言うか全く意に介しません。

というのは、息子SRにも中学生時代からの友人が一人だけいるのです。そしてもう一人、前高校の同級生にもそこそこ仲良くなった子がいたのです。

それらの子の影響でしょうか、本人も免許証が欲しいというのです。
18歳になれば免許証は取得可能ですからね。

そういうことは知っているんです。

 

そう言えば、地方は交通事情が悪く電車やバスが網羅されていません。

生活には通常マイカーの利用者が大半です。

私の勤めている会社でも、新入社員は入社時から既にマイカーで通勤しています。

聞いてみると、親が買い与えているんですね。当然自動車学校の費用もです。

給料から親へ毎月返済するとは言っていますが実際は?です。

私達の時代は、親にはそんな余裕は無く、自分で働いたお金を貯めて、直接車屋と交渉して購入したものですが、時代は大きく変わったらしく子どもに甘くなっていますね。

そんな状況ですから、息子SRが免許を取りたいと言い出したのも友達からの情報でしょう。

でもね、おかしいですよね。

その子はきちんと高校を卒業し、卒業後は就職して、先例のように親に毎月返済するのかも知れないでしょ。

そのあたりはどうも息子SRは理解していないと言うか、考え及ばずと言うか全く分かっていないんですね。

親として理論だって言い聞かせようとするのですが耳を貸さないのです。

友達がすることを自分も同様にしたいのでしょう。
“ みんながすることを自分もしたい 。みんながしているから自分もする”、これは幼い子どもの論法でしょう。

おかしいですね。本人が今やらなければいけない最優先の義務については果たさ無いのに。

そして、自分の欲求を達成するためにその論法に輪をかけて、次の条件を提示してきます。

それは “ 免許証を取らせてくれたら、真面目に学校へ行く、アルバイトもする ”とね。

大甘の親としては、ついその言葉に乗って信用してしまいますよ。でもさすがに車まで買い与えることはありません。

 

日中は暇ですから自動車学校へ行きます。

夜は学校へ行ったり行かなかったりと定着しません。

でも自動車学校へは休まずに行くのです。

このアンバランスは何でしょうね、自分の興味のあることは進んで行うが、そうでない好まない事はしない、または逃げる。

こんな事、大人になれば通用しません。

好まないことでもしなければならない事は、しないといけないのです。死活問題になるのです。

この訓練をするのが学校教育でもあるのです。

 

ところで、自動車学校はどうなったのでしょう。

中々一発では卒業できません。

補修、補修の連続です。面白いことに自動車学校はくじけずに続けて行くのです。

そしてついに合格したのですが、多くの費用がかかりました。

昔と違って高いのですね。子どもの数が少ないという理由もあるのでしょう。

しかし、これで終わりではありません。

さらに免許センターでの学科試験があります。

結論を言います。3回目に通りました。

余程嬉しかったのか、途中から電話報告がありましたよ。

 

後日、担任の先生にこのことを話したら、3回で取れたことを褒めてくれました。ご自分の娘さんは4回目に取れたとか言ってましたね。

そんなこんなで晴れて自動車免許証を取得した息子SRですが、ことはそううまく運びません。

 

こんな事がありました。

免許証を取ってしばらくしてアルバイトをすると言うのです。

昼間は暇ですからね、小遣い欲しさもあったのでしょう。

良いことではないですか。もちろん賛成しました。

 

バイクに乗ってビザの配達です。

さあ、1週間は続いたのかな? 解雇されたようです。

理由は、配達の不備、要は届けるのに時間がかかったり、届け先が分からなかったりと、お客さんからのクレームでしょう。

地理的事情に疎いのです。地図が読めないとか聞いても十分理解しないまま出かけるとか、そういったことですね。

息子SRは自分自身の能力をも考えずに無謀にも、そのような職種に取り組んだのです。

熱意は評価できますが、無理だったのですね。

もっと自分に合った仕事は無かったのでしょうか。

 

そしてある日担任の先生から連絡がありました。

“ 単位不足のため留年決定です ”

先生も配慮して下さいましたが、進級はできませんでした。

もう一度やり直しです。卒業まであと2年かかります。

 

しかしこのやりにくさは何なのでしょうか。ここに至ってもすんなりと行きません。

息子SRに対する私達親の姿勢が、必然的に厳しくなって行くのも仕方の無いことでしょう。

 

次回は息子SR、18歳の春から始まります。その年の誕生日に19歳になるのです。

では最期までご覧いただきありがとうございました。

 

果たして定時制高校は自分の居場所として定着したのか?

今度こそ息子SRに適した居場所だったはずなのに!

           

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こんにちはノンキーです。

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ともかく息子SRは定時制高校に再入学しました。

前高校の単位があったため、通常4年間のところ3年間で修了できる事のようです。

 

始業は夕方からですので、自転車で片道20分ほどで通学も楽です。

1日の授業時間も長くはありませんし、全日制に比べると全体的にハードルは高くはありません。

 

一方、1学年あたりの生徒数は少ないのですが、人間関係はどうなんでしょう。

中には働いている人もいるでしょうし、息子SRと同じような環境の人もいるかも知れません。

息子SRにとって今までと違い、精神的に負担の軽い環境での生活が始まります。

担任の先生は少し年配の人の良さそうな方です。

これで3年間真面目に通学して、単位を取得すれば高卒の資格が得られます。

これこそが本人に最も適した生活環境でしょう。

 

この結果は、息子SRが誕生した時に、親が勝手に想定した状態とはかけ離れている気がしますが、今となっては仕方の無いことでしょう。

妻はいち早く息子SRの変わった性格を感じて行動しましたが、のんきな私や、行政機関の情報不足による対応が不適切なこともあって、息子SRにはむしろ辛い目をさせたかも知れません。

 

我々両親は今度こそ安定して生活して欲しい、日中は時間があればアルバイトでもすれば社会との接触ができるし、将来の役にもたつだろう。 

といったやや安堵した気持になったものでした。

 

しかし現実は私が考えるような甘いものでは無かったのです。

生来のんきで危機感の薄い、不安を感じながらでも何でも放置して、成り行き任せにしてしまうのんびり屋のオヤジなんです。

 

私達両親は、この頃いつもこう言っていました。

息子SRは、同世代の子よりやや精神的に幼稚さがあり社会にとけ込むのが遅いのだ。

本人が社会に接触しながら慣れて成長するのを見守り、待つしか無い。

とは言っても、成長度合いが遅いなあという気がしましたよ。

 

さて心機一転(心機一転が多いですね)、息子SRは気持ちも新たに定時制高校に行き始めました。

カレンダーが変則ですので学校のある日とない日、授業の時間割などは本人に任せきりになります。

最初の1年間はそれなりに行っていたようですが、またまた2年目から時々休むようになってきました。

理由は単純明快、本人曰く “教室に入るなりいつも自分の方をジロジロ見る嫌なヤツがいる、それも二人で笑ったりヒソヒソ話している。だから行きたくないのだ” と。

親から見れば、何とも他愛のない事だと思いますが、本人にとっては重大事なのでしょうかね。

でもこれっておかしいと思いますね。
自分の事を言っているのか、それとも二人だけの会話なのか確かめれば済むことでしょう。

もしくは無視すれば良いだけのことではないでしょうか。

ところが息子SRはそういった事ができないんです、気になるんです。

“何とも情けない” と親は思うのですが。

こういった事が理由で学校を休んだ時、親は本人を諭したり、励ましたり、叱ったりするのが普通ですよね。

叱りませんか?、いい加減にしろと。

いくら単位制でも、休みすぎると単位不足で留年になります。

このパターン、一体何回繰り返せば良いんでしょうか。

本人は今までこれが通用して来たことで、嫌な時は避けるこのパターンが定着したのでしょうか。

とんでもない時にとんでもない学習能力を発揮するものです。

またまた担任の先生のお出ましです。

こんなことを繰り返しながら、学校へは行ったり行かなかったり、昼間は暇ですから、アルバイトでもしたらと思うのですが、腰が上がりません。

こうして2年目の2学期が終わり、3学期に入っていきます。

この時息子SRは早くも18歳になっていました。

人生、人それぞれの生活パターンがありますので、どれが普通とは断言できませんが、親の保護下にある間は世間一般の生活ができれば良いなあと事あるごとに思ったものです。

 

本人の資質、親の教育、社会のサポート等色々問題があったにせよ、そういった生活とは程遠い18歳までの道のりでした。

これからも息子SRにとって、どのような生活、試練が待っているのでしょう。

 

今回はこれまでです。ご覧いただきありがとうございます。

また次回、続きを書いていきます。

 

  

高校中退した息子SRが最終的に落ち着いた先は!

相変わらず意思表示の乏しい息子SRの最終決断は?

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こんにちはノンキーです。

息子SRはせっかく入った高校を2学期で挫折しました。もう学校に行くのは無理なのではと思いましたね。

高校中退の経緯についてはこちらから↓↓↓

www.nonkieblog.net

 

しかし親としては、高卒の資格は持たせてあげたいという気持ちは強かったですね。

それで親の勧めもあって、再度気を取り直して高校へチャレンジすることになったのです。それも1学年から出直しです。

しかし公立を受けるほどの能力はありませんし、私立も地元では該当するところは有りません。

 

そういった状況下でも息子SRはと言うと、新たに高校を受験するのであれば、勉強なり受験先の高校を研究しても良さそうなものですが、本人は全く親におんぶに抱っこで、希望さえ言いません。

勉強をしている様子も皆無です。

真剣さや真面目さ、責任感が全く感じられません。

 

それでも親としては息子SRのような不登校、引きこもり気味の子どもを受け入れる高校はあるのではと色々探してみました。

すると妻が調べた中に、隣県にそれらしい学校が2校ほどあるようだという情報が有り、私立でしたが両校とも受験してみようということになったのです。

 

しかし後年になってよくよく考えてみると、この時点で私達は勘違いから、大きな過ちを犯していたのです。

隣県とはいえ、合格すると自宅からの通学はできません。下宿をするか寮生活になります。

過去の実態から見て、果たしてこのような事が息子SRにできるのでしょうか。

我々は勘違いしていたのです。

息子SRの中退理由が、水産系高校のハードな訓練を伴った体力的な厳しさや、専門性が合わなかった為に続かなかったのだと勝手に解釈していたのです。

実際は過去の記事でもお判りのように、息子SRは人とのコミュニケーションや集団生活ができないことが根底にあるのです。

これが克服できないといくら科目の違う高校に合格しても、通学を継続することができないのです。

 

このことを当時は気がついていなかったというか、安易に考えていたというか、迂闊というか呑気というか、何とも釈然としない気持ちだったように記憶しています。

 

 再度高校へ行くという目標を立てることによって、目の前の問題を先送りにしていたのかも知れません。気休めですよね。

 

そして当然の如くまたまた私は一人で、県外のその高校へ下見に行きました。

一校は全寮制で、もう一校は自宅通学や下宿といったことでしたが、内容的には下調べとはかなり差があるように思いました。

全寮制の方は、息子SRタイプの生徒がいるような雰囲気もあり、また教師の説明にもそういった内容が含まれていました。

もう一校は、全く普通の高校で我々の得た情報が古かったのか、間違いなのか、到底息子SRにはそぐわないと感じました。

 

親バカにも程がありますよね、無謀にも両校とも受験したのです。

結果は当たり前というか、当然両校とも不合格です。

 

この結果を受けて親子共々気落ちしたことは否めません。

でも息子SRはそれ程では無かったような感じでしたね。自分では分かっていたのでしょうか。

 

そうこうしている時、元の水産系高校の担任だった先生から連絡がありました。時期的には、2月後半から3月頃のことですね。

受験の方はどうだったのか?と。

もちろん不合格だったことを伝えました。

そうしたら、“であれば高校へ行く意思があれば定時制へ進むという道があるよ”との提案がありました。

そして定員割れのため2次募集をしているとの事でした。

 定時制高校は地元の市内に有り、全日制に比べ通学や精神的負担は軽くて済みます。

親としてもアレヤコレヤでかなり疲れた状況下に有りましたので、本人さえ良ければと息子SRに伝えたところ肯定的です。

いつものことですが自分の意思がありません。

 

 定時制は単位制のため、以前行っていた高校の実績を継続してカウントできるとのことです。

 これは有難かったですね。

 

といった経過を経て息子SRは最終(この時点での)的に、定時制高校に通うことになったのです。

後日入試があり、これには合格しましたよ!!

 

今回はこれで終わりです。

最期までご覧いただきありがとうございます。

次回は、定時制高校に通学する息子SRについて書いていこうと思います。

 

引きこもった息子が高校中退へと向かった経緯について話そう

知らず知らずのうちに親子関係は悪化の一途を辿った

 

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こんにちはノンキーです。

 前回の記事ははこちらから。↓↓↓

www.nonkieblog.net

 

1学期が終わり夏休みになりましたが、息子SRはほとんど引きこもり状態で家に閉じこもってばかりです。

友達が誘いに来ても、出て行かないばかりか居留守を使うのです。益々休み癖がつきます。

こんな状態にありながら本人は、2学期には学校へ行くというのですが、過去の経験からこんなことは到底信じられません。いつものことです。

この夏休み中は、私達もあまり構わず相手にしなかったと記憶しています。本人もその方が好都合でしょう。

学校は休みなんですから、親子が衝突することはめったにありません。ましてや息子SRは2学期には通学すると言うんですから信用出来ないと思っても、少しは期待してしまいます。

気休めですがね。

 

さて、2学期が始まりました。予想通り息子SRは行きませんよ。

担任の先生が来宅され、通学を促してもはっきりしません。

たまに妻が自動車で送ることで行くことは有りましたが、こんなことで解決策になるはずもありませんし続きません。

 

2学期も不登校の始まりです。

それだけではありません。

部屋から出てこない引きこもりの始まりでもあるのですが、自分の用事の時は妻に車で送ってもらうのです。

例えばちょっとした買い物やレンタルビデオ等ですかね。妻はその間は車中待機です。

妻もパートで働いているので、息子SRの都合にそうそう合わせられるはずもありません。

息子SRが無理を言ったときなどは、当然叱ったりもします。

そして親子ともどもお互いにストレスが溜まっていくわけです。

 

こんな状態が何日も続くと、ストレスから関係が感情的になっていきます。

つい親の口調もきつくなり、息子SRも反発的になってくるのです。親子喧嘩の始まりです。

叱ったり、反抗的になったり醜いですね。

 

真面目に通学さえすればこんな事にはならないのですが、行くことができないのです。

 

何度も言いますが、この時点では判明していない息子SRの特性があったのです。

 

息子SRに対する家族の態度は徐々に冷たくなっていきましたね。息子SRも辛かったと思いますよ。そして反発がエスカレートしていきます。

親子双方ともこの関係悪化を止めることができるほどの冷静さは無かったのです。

 

この頃でしたか、妻が私に聞いてくるのです。

 “息子SRが働いている姿をイメージできるのか?” と。

 

この時は考えてもいなかった事ですので、返事に窮しましたが改めて考えてみると、息子SRが働くというのはこの段階ではイメージできませんでした。

 

しかし年齢的には16歳ですし、労働という切り口から本人を見た場合、少しは見えるものがあっても良いのかと思いますが、全くと言っていいほどその欠片も感じません。

 

働くには余りにも幼稚な感じがするのです。

 

とは言っても親としては贔屓目に見てしまいます。

まだまだ若いのだから、その内労働にも目覚めてくるだろうと。

息子SRは働いて報酬を得て、それで自分の生活を維持していくという理屈は分かっていますし、その欲求も持っています。

でも今後の成長を勘案しても、社会に出て自立できるかというと、何とも頼りない感じがするのです。

 

またまた親として何かの方策を考えないと、このまま推移していくと悪化の一途を辿り、取り返しの付かないことになるのではと思ったのでした。

 

そしてもう、現在の高校へ行くことは無いでしょう。

2学期も終わる頃、私は息子SRを連れて中退の意思を伝えに学校へ行きました。

校長先生と担任の先生が対応して下さいました。

1年前に合格した私立の高校への転校を勧めて頂いた記憶がありますが、この時はそのようなことを頼むことはできませんでしたし、息子SR本人もその意志はありません。

結局中退のお願いをして、その学校を後にしたのです。

 

息子SRはと言うと意外にも元気で、プレッシャーから開放されたという表情です。

 

学生で言う3学期は何もせず、ただ家庭で過ごすことになったのですが、このまま働きもせず学校も行かないと言うのは、将来が危ぶまれます。

私達両親は、せめて高卒の資格は得て欲しいと考え、息子SRへ新学期から再度、高校への挑戦を促したのでした。

息子SRは将来は就職して仕事をし、収入を得なければいけないということは何となく理解はしていたようです。

ただそれが一体どんな事なのか、どのようにすることなのか、詳しくは分かってなかったのでしょうね。

 

ともあれ息子SRは、再度高校へ行くことの意思を表明したのです。

 

今回は以上です。ご覧いただきありがとうございます。

次回、息子SRの高校再挑戦が始まります。

 

ついに息子SRは不登校から引きこもりの道へと進んで行ったのです

集団生活のできない息子と親との関係の悪化

 

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こんにちはノンキーです。

息子SRはせっかく合格した高校へ行ったり行かなかったりと、グズグズした日が続きます。

 

私の出社の時間の方が早いため先に家を出ますが、それでも途中で通学の様子を確認したりしていました。

 

登校する姿を見ては安心し、ぎりぎりまで待って姿を現さない時は気が重くなったものでした。それこそ一喜一憂という日々です。

 

とにかく、集団の中に入るのことができないのです。

幼稚園、小学校の時からの傾向ですが、成長するに従って改善するどころか余計に悪化してきました。

 

しかしこれを克服しないと通学できませんし、卒業もできません。

何とか勇気づけて登校させようと親は躍起になりますが行動しません。

ついに親が小爆発して厳しい口調で口撃します。

でも、中々行こうとしません。

こうなると根比べですね。悪いパターンに入っていきます。

 

完全な不登校になってしまいます。

ja.wikipedia.org

こういった一進一退の状況で1学期は終了しました。 

 

夏休みははっきりと記憶はありませんが、ほとんど引きこもっていたんじゃないでしょうか。

数少ない友達とも交流していたようには見えません。

段々と自分の世界が狭くなっていきますね。

 

このあたりから、不登校→引きこもりといった構図に入っていきます。

 

学校にしても社会に出て仕事をするにしても、自分に合わないことがほとんどです。合うことのほうが稀だと思います。

合わないからといってこれを避けていてはキリがありません。

特に社会では死活問題になります。だからみなさん苦労するわけですね。

これに耐えうる力をつけることも学校教育の目的でもあります。

今の世の中の仕組みでは仕方の無いことですね。

 

ところが息子SRのように、根底に障がいをあったかも知れないという場合は、こうはいきません。

社会生活に必要な知識、耐久力、コミュニケーション力等を付けるということ以前に、それに取り組む精神力がありません。

 

したがって同僚より多分野において遅れが生じてきます。

益々学校へは行かなくなります。

 

ついには不登校の結果、家に引きこもるという最悪の状態になってきたのです。

 

 

この時代(2000年頃)には世の中に発達障害という概念はまだ定着していませんし、このことを口にする専門家も少なかったと思います。

 

極端に言うと、引きこもりになって社会との接触が希薄になってくると、健全な精神、肉体を持った人でも徐々に落ち込んできて “うつ” 状態になってくる場合があります。

これはあくまで“うつ”状態なのであって“うつ病”ではないのです。

 

この2次的な状態を専門家(例えば心療内科医)はうつ病”と診断してその処方を行うことがあるのです。

その処方如何によっては、当事者の容態が良くもなるし悪化することもあります。

 

専門科は、この“うつ”状態になった原因が何なのか私生活をさかのぼって見極めないと、いわゆる誤診ということになって行くのではないのでしょうか。

 

 

 さて2学期が始まりましたが、息子SRは全く学校へ行きません。

完全に不登校が定着です。

 

所詮、集団生活ができないので仕方ありませんが、この時点でもこのことが分からない両親は焦り、本人にきつく当たります。

 

こうしながら益々親子の関係は悪くなっていったのです。

 

次回は、息子SRがついに高校を中退したことについて書いていこうと思います。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。