息子SRはなぜ心療内科を受診することになったのか?
息子SRの運命を左右した心療内科受診までの経緯
こんにちはノンキーです。
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そう言えばこの頃からですかね、息子SRの風貌が徐々に変化していったのは。
髪は茶髪、耳にはピアスといった当時のはやり言葉で言うと、“ ヤンキー”ですね。いや実際はヤンキーまがいです。
本人はそう言われることが何か嬉しく得意そうでした。
A君と夜な夜な遊び回ることによって、そのような風体が格好良いと思うようになったのでしょう。服装もしかり、俗にいう腰パンですよ。
そしてこの格好で学校に行くのです。(時々ですが)
両親がいくら戒めても止めることは有りません。
A君自身を私はあまり見たことはありませんが、会社勤めをしていますので息子SRのような格好はしていなかったと思いますが定かではありません。
想像してみて下さい。
朝は遅くに起きてきては朝食を取ったり取らなかったり、昼間は用事があれば母親を引っ張り出して運転手、それ以外は部屋に引きこもり、夕方になると学校へはめったに行かず、夜遊びに行く。
こんな日がずっと続くと家族は精神的に落ち着きません。
放っておけば良いと言ってもそうは行きません。
小言の一つも言いたくなりますし、時にはきつく叱ります。
そのような状態ですから、家庭での親子関係は悪くなる一方です。
そして息子SRの行動は悪い方向へどんどんエスカレートして行くのです。
この頃でしたね、タバコを吸い始めたのは。
19歳前後ですから法律違反でしょう。(未成年者喫煙禁止法)
ある日のことです。
妻から会社へ緊急の電話です。携帯電話を保有していたのかどうか記憶が定かでありませんが、とにかく電話が入りました。
息子SRがベルトを振り回して、自分の額を直撃して怪我をしたというのです。日頃の妻の態度から想像もできないくらい動揺しています。こんなか弱い一面が有ったのかと私は驚きました。
おそらく自分の子どもからの攻撃がショックだったのでしょう。
私は詳細が不明のためすぐに帰宅し、怪我の状況を見て医者に連れて行きました。額を少し切った程度でしたが痛みはかなり有ったようです。
これ、息子SRの親に対する暴力ですよね。これは許せません。
本人を今まで以上に強く叱りつけ、そしてペナルティを課しました。
このペナルティは息子SRにとって一番こたえること、それは小遣いのカットです。
普通であればペナルティを与えられれば反省し、二度と繰り返さないというのが一般的常識でしょう。
しかし息子SRの場合は違ったのです。益々親に対し反抗的になったのです。この思考回路からして何か違和感を感じませんか?
しかし当時はそんな事は微塵も感じませんでした。諭しても叱っても分からない息子SRに親は大いに腹を立てたものです。
親子関係は最悪です。
そして家族だけでは息子SRの行動の改善が見えない事から、私は担任の先生に相談に行きました。
家庭での状況を説明し何とか善後策は無いものかと相談したのです。
先生は非常に良い人柄で良く話を聞いて下さいました。
しかし本人が学校に来ないので指導するにもどうしようもない。
また、褒めてあげようにもそれに値する行動もない。
極めて明快なお答えです。学校に行かなければどうしようもありません。息子SRはここに至っても不登校をしているのです。
先生としても為す術がありません。と言いながらも自宅へ来て本人に話をしていただけることになりました。感謝です。
そして先生が話している時だけ殊勝な態度で聞いています。
先生が帰ったあとは反省の色もなく、行動の変化は見られません。
年齢が増すごとに状況は悪くなっていきます。
色々と手を尽くして来ましたが、今までで一番悪い状況になっています。
学校に行けなければ働けばいいと思いますが、それもできません。
根底にはこの時は分からなかった発達障害という、誰ももちろん当事者も自覚のない理解不能な思考、行動をするのですから。
息子SRは19歳になっていました。
この頃はA君との付き合いは少しずつ減ってきたようでしたが、反面部屋に引きこもる時間が増えて来ました。
世間では“引きこもり”という言葉がチラホラ聞こえ注目されるようになって来たのです。
引きこもりの子どもを抱えている家庭であれば、余計に意識するためこの引きこもりと言う表現が身近に聞こえてくるのでしょう。
息子SRの引きこもり度合いは時が経つに連れひどくなっていきました。1日中家から出ず、出る時は相変わらずの行動パターンで建設的な行動はひとつも有りません。
私はこの現状を見て、辛抱強く根気よく言って聞かせることはここに至ってはもうしないのです。息子SRをただ叱り続けるだけです。
益々息子SRの態度は反抗的になり、家庭では孤立して行くのでした。
再度の先生の指導にも無反応、そして心療内科を紹介される。
全く学校へ行かなくなった息子SRを心配して、様子を見に来て下さった担任の先生は息子に対し、少し厳しい口調も交えながら、また励まして下さいましたが息子SRは反応しません。
この状況を見た先生は、息子の精神状態が少し尋常でないのでは無いかと感じたようでした。
一度医者に見て貰ったらどうかと言うアドバイスです。
親としては考えても無かったことですが、改善の為にはそういう事も必要かなという思いがしたのす。それほど家庭環境が悪くなっていたということです。
先生から1,2の心療内科を教えて頂き、後日受診をして見ることにしました。
ここでまた言いますが、当時は発達障害という言葉はまだ聞こえていません。少なくとも現在ようにこの言葉が社会で一般的であれば、息子SRの今後の運命は大きく変わっていたのかも知れないのです。
次回からは息子SRが心療内科を受診して、その後どんな歩みをしていくのかを書いて行こうと思います。
最後までお読み頂きありがとうございました。