最初の通院からドクターショッピングが始まって行く経緯
仕方がなかったのか、当時の医療事情と社会のレベル
こんにちはノンキーです。
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心の風邪とは?
息子SRはついに先生の勧めもあり、紹介された診療内科へ行くことになりました。紹介されたのは隣の市の開業医ですね。
我々両親も心療内科とはどのような所か、全く予備知識はありません。
受診にあたって特に抵抗することもなく、素直に行ったと思います。
行ったのはこじんまりとした建物の、受付の女性2名と先生だけのお医者さんでした。
受付を済ませ、問診票に記入してしばらく待って診察室に入ると、そこには50歳代位の品の良いお医者さんがいました。
先ず血圧測定、スネを木槌のようなものでたたいて脚が反応して上がるかどうかのチェックです。
次に問診票に沿っての質問が始まります。息子の様子を伺いながらの質問ですがマトリックスでしょうかね、何か用紙に記入しています。
息子SRは他人とのコミュニケーションができないのですが、その様子を見て、精神的に落ち込んでいる、元気が無いという見立ての末に、付けた診断名は “うつ病” でした。
そして付け加えて言った言葉は “心の風邪” という表現です。その時は“言い得て妙、さすが専門科だ” と感じました。
心の風邪という表現は、我々にとって新鮮な言葉に聞こえました。
この先生だったら何か良い対応策を講じてくれるのではないかと。
この言い方は文献や専門書にも良く出てきますね。
診断は適切だったのか?
その時は “そうか息子SRはうつ病にかかっていたのか、それで元気がないのか” など簡単に考えてしまった節があります。
専門科の見立てに間違いはない、と全面の信頼を寄せたものです。
処方されたくすりは抗うつ剤?ですね。
先生曰く “2、3日すれば元気になるでしょう ”との事でした。
処方された抗うつ薬名はここでは伏せておきますが、その効果と作用については下記をご参照くださいね。↓↓↓
素人の私が口幅ったい事を言うようですが、現在でも一旦診断名が確定すると医師はその病名に対しての処方を行いますね。
分かりやすく言うと、風邪と診断すれば風邪薬、胃痛であれば胃腸薬、頭痛であれば頭痛薬といった具合にですね。この時点になれば対症療法ですね。
問題なのは、診断名を付けるに至った過程とその根拠だと思うんです。
数年前になりますが、身内が亡くなった時に主治医が言ったことに、“近年、肺炎が死亡原因のTOPを占めている”と言うのです。
昔は肺炎は第3位くらいだった記憶があります。
そもそもの病気の原因は、内臓疾患であったり、怪我やその他の病気や老衰で有ったりとしますが、入院中に肺炎を併発してそれが死因になる場合が多いということですね。結果死因は“肺炎”ということでしょう。まあ統計をとる基準も変わるのかも知れませんので一概には言えませんが。
息子SRの場合はどうだったのでしょう。
現在の医療環境であればおそらく“発達障害”の診断が付くでしょう。細かい診断名は別にしてもそうなると思います。
幼児の時に分かっていれば、療育ということになるでしょうし、大人になって判明すれば、投薬と並行して本人に合った生活環境のアドバイスもあるでしょう。
その投薬ですが、抗うつ剤という対症療法だけでなく、さらに踏み込んで慎重に処方してくれるに違いありません。
しかし残念ながら、当時はそういう時代ではありませんでした。
その時代にそういった特性を持って生まれた子供は、不幸と言えばそういう事も言えますが、中には親の対応、努力によって乗り越えられた家族も多くおられます。私の親戚にも心当たりがあります。
話は戻って息子SRの場合はどうだったでしょう。
薬を飲み始めてしばらくは変化は無かったので、再度通院したりしながら効果の期待をしていました。
そうする内に行動に変化が現れ始めました。それは徐々に荒っぽくなって来たのです。言葉遣い、動作、それに伴う車での外出頻度の増加などです。見るからにイライラ感を感じます。
間違いなく薬の効果でしょうが、考えていた状態とは差異が大きすぎます。
状況を主治医に話すと、“ その内治まる ”と言うのです。
本人を連れて行き診断してもらいました。
しかし息子SRはいつものように他人の前では、殻を被ったようにおとなしいのです。
主治医の問いかけにもキビキビ反応しません、頷くだけです。
主治医は勘違いしますよね。正確な診断ができるのでしょうか?
結果は、薬が効いてきていると判断したようです。
そして同じ薬を継続して出してきます。
親は先生を信頼しているので、薬の見直しなど到底要望することなど考えるはずもありません。
『またまた言いますが、息子SRの根底には発達障害と言う障がいがあるのです。それが見極めできなければ、副作用のあるかも知れない抗うつ剤を投与し続けるしかないのです。』
我々両親は、改善の見通しが益々分からなくなる不安を感じながらも通院を続けて行くうちに、転院を考えるようになりました。
そして担任の先生が紹介してくれた、もう一方のお医者さんに行ってみることにしたのです。
いよいよ我々家族の果て無き “ドクターショッピング” が始まるのでした。
そして、あの大きな出来事へと発展して行くのです。
続きは次回書いて行きます。
最後までお読み頂きありがとうございました。