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そうか!息子は発達障害だったのか !? 親子の葛藤 と顛末記

そうか、息子は発達障害だったのか!

発達障害と診断された息子の先行きは

 

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こんにちはノンキーです。

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セカンドオピニオンの結果は?

セカンドオピニオンを受けた息子の診断結果は、発達障害を根底に持った2次障害が原因というものでした。

初めて聞いた発達障害という診断名や2次障害とういう表現に、最初は何のことやら分からず、説明を聞いて “あ、なるほどな!”と、心の中でストンとつかえが取れたような感じがしたものです。

発達障害(はったつしょうがい、英: Developmental disability、DD)は、身体や、学習、言語、行動において一連の症状を持つ状態で、症状は発達中に発見され、通常は生涯にわたって持続する障害の総称である。

生まれつき発達障害を持った子供が、日頃の生活の中で受けるストレスやプレッシャーによって生じる精神的な負担が大きな重圧となって、精神的な病気を発症するというものです。

息子の場合もこれに当たるのではないか、と言うのです。

であれば、先ず2次障害を治療することが先決でそれが寛解していく過程で減薬を試みながら安定を目指すという方向性が見えて来ます。

 

生まれついて発達障害を持っていることが判断できれば、療育という形でそれに沿った育て方をするのが適切で、そうすれば2次障害を発症するケースも防げるということですね。

発達障害を伴った精神的な病気と、そうでない人の精神的な病気ではそれを発症した要因が違うので、自ずと治療も変わってくるということです。であれば発達障害を疑わない表向きの症状で診断すると、息子のような場合には適切な治療ができないということになるわけです。

 早速この心療内科への転院手続きを行いました。その際、確か自立支援医療という制度への申請も手続きして頂きました。こんな制度があるというのを聞いたのは初めてでしたし、治療費負担3割が1割になるということは経済的にも助かります。全てに誠意を感じましたね。

 

親子共々やっと良いお医者さんに出会ったと大喜びです。息子なんかこの先生と2ショット写真を撮って自分の部屋に飾ったりしていました。薬の処方も今までとは違っていて、本人には合っているようでしたね。

私もこの心療内科に通院しながら、具合いが良くなれば仕事を探せば良いという思いでいました。通院の頻度は最初のうちは1週間おきに、暫くして2週間毎になりました。薬の量は最初は多めにして、症状を観ながら段々と減薬して行くという方針です。この方針にも納得性があります。心身ともに安定してくれば仕事に対する意欲も出てくるだろうと期待が持てます。

新たな問題の勃発・就労支援への道

しかしここで新たな疑問が出てきました。息子は発達障害なのです。だとしたら発達障害の人はどんな仕事ができるのでしょう。健常者のような仕事は無理なのではないでしょうか。それをしようとしたところに現在の2次障害を発症した要因があるのです。能力的限界と障害者の特性があるため通常業務はできないという事です。それであれば息子の場合はどんな業種になるのか、またまた壁に突き当たります。

 発達障害も含めた現状の精神治療をすることと並行して、発達障害者として仕事をして行くことになるのです。この時点では障害年金を取得するという発想はありませんでした。

とにかく何らかの仕事に就くというのが目標です。本人も過去の経験から一般の仕事は無理があると分かっているようです。然らばどんな仕事になるのか、今度もインターネットで調べたところNPOが経営?している就労支援という制度があるのですね。そういうところで簡単な仕事から始め、ある期間が来ると次のテップに移るといったシステムの支援制度や、そこで雇用契約を結んで仕事を続けるといった支援制度があり、その人の状況によって携わる内容を決めるようです。

そこであるNPO法人が経営?している『△◯❑』という組織に連絡を取り、息子と現場の下見をさせて頂きました。そこは本人の希望があれば受け入れについては問題ないようでして、いつものパターンですが息子はお世話になることにしたのでした。

息子の場合は、俗にいうB型支援からのスタートでした。

仕事の内容は、民間の施設の清掃や小作業が主な仕事です。給料は最低賃金で計算されますので小遣いくらいにはなるようですが出勤率によって左右されます。まあ一人で生活するにしては不十分な金額です。大事なことは当分の間先の見通しを考えることは保留にして、本人が仕事や他人との関係に慣れることです。 works.litalico.jp

んなこんなで通院するお医者さんや当面の仕事場も決まり、ここから新たな生活のスタートを切ることになったのです。

 この時点で息子は既に24歳頃で私といえば定年前の58歳くらいでしたかね。

さあこれで息子の先行きに何とか目処がついて、それなりに安定した生活が送れるように願いたいものです。

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。