中学3年生の不登校から高校入学までの経過
たまたま受けた高校に合格するまでの経過と親の反省
こんにちはノンキーです。
さて息子SRは地元の中学校へ復帰して通学を始めました。
最初のうちはどうでしょう、何となく通学できていたように感じました。
しかし、何日もしない内に時々休むようになったのです。
原因は、勉強についていけないことが大きかったと思います。
元々不得手な勉強が余計分からないと、学校は面白くありません。
友達関係は、ブランクがあったため関係が中々築けません。
といったように要因は色々ありますが、これらはある程度時間が経過すれば慣れてくるものだと思います。
また、本人の努力次第で乗り越える事もできます。
もう中学3年生、15歳ですから自我や、自立心の芽生えがあってもおかしくありません。
私は当然そんなものだと考えていました。
しかし、息子SRの場合は違っていたのです。
段々と朝になっても起きてこず休む頻度が増えてきました。
担任の先生も心配して、時折通学時間帯に立ち寄ってくれるのですが行こうとしません。
それでも、何とか励ましてやれば行くこともできますが続きません。
こうなってくると、親としては心配と同時に精神的な負担が増してきます。
つい厳しく対応して学校へ行くように促します。
そして、“明日は行く” と言いながらその日は休むのです。
休むのが決まると元気が出て起きてきます。
でも、翌日になると同じく起きて来ません。
山村留学から帰ってきて心機一転したはずですが、どうやら悪い習慣が定着したようです。
これって典型的な不登校のパターンですよね。
私としても反省すべきことがあります。
それは、息子SRと同じ立ち位置に立って、寄り添って共に過ごしてあげれなかったことです。
高校進学を前提とすれば、ある程度の成績は必要です。また学校の内申書の評価も必要です。
息子SRの状態を見ればとてもそれをクリアーできる内容ではありません。
親としてそれは当然感じていましたし、何をどうすれば良いのかということは分かることですよね。
受験期になると家庭教師の勧誘や、教材の売り込みといったことも有りましたが、価格や商売っ気がミエミエでありその気にはなりません。
親が自ら教えることもできますが、中々時間がとれません。
結局そういった対応策を行うこと無く時間が過ぎていったのです。
担任の先生も、根気よく諦めるでもなく、朝は立ち寄って通学を促してくれました。
その事もあって完全に埋没することはなかったのですが、まあ全体の3分の1位は休んだのではないでしょうか。
今になって結果的にみると、親としての努力不足ということでしょうね。
私もそう感じます。
もっとできることがあったんじゃないかと思うんです。
例えば、
・夜は一緒に居てあげる、勉強できる環境をつくる。
・分からないことは一緒に考える。
・朝起きれない時は叱るのでは無く、冷静に対応する。
・朝は時には学校へ送って行く。
・約束事を作ってそれを守らせる。
等々手は色々有ったと思います。しかししなかった。
この時期が本人自立のラストチャンスだったのかも知れません。
加えて、息子SR自身の特性が有ったのです。
このことは、ずっと後年に判明したことですので、当時は本人の成長が遅いのかなあ位の認識でした。
担任の先生のご努力、配慮等があったのでしょう、何とか息子SRは卒業式を迎える事ができました。
しかし息子は参加しなかったのでは無いかと記憶していますが定かではありません。
さて、懸案の高校進学はどうなったのでしょう。
今まで述べてきたことから推測できますが、中学時代の成績は全く良くありません。
順位などは愕然とする成績ですが当然といえば当然です。
そんな中にあって、一応は受験をすることになりました。
先ずは私立高校です。
地元ではまぁ大きな高校で普通にみんな受験をします。
合格発表日に会社に電話があって“合格した”というのです。
そりゃあ嬉しかったですよ。まさかと思いましたね。
公立高校も合わせて受験する子も多いので、合格者を多く採っているのでしょう。
そして次は公立高校です。この受験は後で考えた時、止めておけば良かったと思いました。
しかし、授業料や経費を考えると公立のほうが断然安いので、一応受験はしてみます。
問題は高校の選定です。
SRの場合は成績からいってレベルの高い高校は受験できません。
必然的に受験する高校が決まってきます。
そして定員割れの高校、学科でしたのでここも受かりました。
再度繰り返しますが、息子SRの成績が良かったわけでは無いのです。そのような子どもでも受け入れてくれる位の高校だということですね。
たまたま両方受かったため、息子SRに少しでも適したのはどちらなのか冷静に判断することもなく、当たり前のように親子ともども費用負担の安い公立の方に決定したのです。
しかし、この高校は息子SRには合わなかったのです。
専門性の高い実業高校ですので適正をもっと考えるべきでした。
次回は高校時代について書いてみます。
ここまで読んで頂きありがとうございます。