ノンキーオヤジの 人それぞれ ・ 人生いろいろ

そうか!息子は発達障害だったのか !? 親子の葛藤 と顛末記

集団生活に馴染めない子供は、学校での居心地が悪くストレスを感じる!?

運動会の慰労会での出来事、先生の行動から見えたもの

 

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 息子SRの幼稚園時代は決まった仲の良い友達ができず、いつも一人で過ごしていたようだ。

いわゆる集団活動が苦手でこれでは楽しいはずの幼稚園が面白くない。

その内やや行きあぐねてきた。

妻が送り迎えしながら、何とか幼稚園は卒園し、続いて小学校へ入学だ。

環境が変わり、多くの仲間に囲まれ色んな子がいる中でそれなりに慣れてきたようだ。

 

通学も集団登校で、上級生に連れられ朝も遅れることなく通学できていた。

成績は低学年時は特に問題なく、テストの点数も悪くなかったようだ。

 

運動会なども何回か行ったが、多少は不器用な感じはしたが特に問題行動は見られなかった。

まあ、小学校時代は朝のグズリは時々あったが、妻の送りもあって何とか行っていたようだ。

 

そんな折、こんなことがありました。

小学校5年生の頃だったか、持ち回りで私に体協の地区委員の順番が来た時です。

 

運動会の打ち上げがあって役員やお世話役、係、先生方との慰労会が催されました。

 

たまたま正面の席に座った先生が、息子SRの受け持ちのIS先生でした。

当然私は参観日等で知っているわけで、この時もご挨拶申し上げ、SRの父親であることも伝え、子供の話題も含め少々の会話をしました。

 

日頃のSRについて私の感じていることを話し、先生にご指導のお願いをしたりと気分も盛り上がって来た時でした。

IS先生は話の途中で急に立ち上がり、別の席へ移動したのでした。

先生の立場上、一箇所にとどまらず他の方々とのコミュニケーションやお礼なども必要です。

 

しかしです。

それっきりIS先生はご自身の席の戻ってくることはありませんでした。

私としては、話の途中で離席したIS先生に少し違和感を覚えましたが、まあ些細なことですかね。

 

帰宅後この時の様子を妻に話したところ、“IS先生は、(勉強や運動が)できる子には指導が行き届くが、そうでない子にはあまり積極的でない”というのです。

 

そんなことは無いだろう!と思ったのですが、慰労会の行動から少しは想像できるかも知れませんね。

 

しかし、あくまでも想像でIS先生の心境までは本当のところ分かりません。

 

 

私が子供の頃、小学生や中学生(ずいぶん昔)の頃ですが、学校の先生は「聖職」と言われ、どのような生徒にも分け隔てなく対応するのが当たり前と言われていました。

 

そしてその通り、全員平等に対応していたように思います。

 

むしろ、デキの悪い生徒には強く厳しく、弱い子供には優しく、不器用な子は引き立て、その子その子に合った相応しい対応を万遍なくしていたように思います。

 

結局は愛情の問題ですね。 

 

話は戻りますが、先のIS先生の行動は分かりやすく、息子SRの成績を始め日頃のデキは良くないということですね。

 

思い当たる節も有りました。

 

宿題を忘れてもお咎め無し。

忘れ物をしても連絡なし。

休んでも気に留める様子なし。

 

どうでもいいんかいな!!と思います。

しかし、家庭教育の問題でもあります。親がもっとしっかりしなさいということでしょう。

 

学校教育は、正しい答えを覚えたり、解いたりすることを学ぶのが主目的ですから、どうしてもそれができない、または遅い子供はデキが悪いとなるのでしょう。

 

勉学以外にも、社会常識や物事の善し悪しと言った道徳的なことを教えることも大事な教育の一環だと思います。

 

正解を求めたり、覚えたりする教育も大事ですが、それぞれの個性を活かし伸ばす教育も必要でしょう。

 

そういった環境を整え、不器用な子供でも通学しやすい学校であって欲しいと思います。

 

この頃から息子ISの不登校(昔は登校拒否と言っていました)が時々始まってきました。

 

妻は心配して不安を覚えていたようですが、あまり学校の情報もなく、私達両親も軽く考えていた節があります。

 

なにせのんびりした私、のんきなオヤジのことですのでタカをくくって何も行動せず、妻に任せっきりになっていたのです。

 

このことが今思えは、息子ISと家族との長い奮闘の始まりになっていったのです。

 

では、次回は中学時代の出来事について書いていきます。